カテゴリ:それでいいのか日本人( 190 )

湯豆腐より寄せ鍋

先日書いた「100-4」より「96+4」の続き・・というわけでもないが。。

私が小学生の頃、軽度の知的障害があったI君という子が同級生にいた。I君はひらがなの読み書きは出来た。計算は苦手だったようだが、遊ぶ時は私たちと一緒に遊んだ。彼は一部の生徒からいじめられることもあった。そんなとき別の生徒が助けに入ることもあった。I君が私たちと一緒の教室で授業を受けることは、私たちにとってはあたりまえのことだった。



あるカップルの結婚

あたりまえと言えば、当時の京都における高校入試の時に適用された「総合選抜制」という制度も、異質なものであったらしい。京都を出て他府県の高校を卒業した仲間と高校時代の思い出を語り合うときに話がかみ合わないことがあったのは、それが理由だったことも少なくない。

京都府に住む高校普通科への進学を希望する中学3年生が全員同じ試験を受け、合格した生徒はその居住地によって通う高校を振り分けられた。つまり府下で公立高校普通科合格者が1万人いたとしたら、入学式が終わったあと入った教室に、1万人のうちのトップの成績で合格した生徒と、最下位でぎりぎりすべりこんだ生徒とが机を並べてるなんてことも起こりうるのだ。

高校生活すべての面において、生徒同士でさまざまな化学反応を起こしていたように思う。だから私は寄せ鍋みたいな高校生活を送ってきた自覚があるが、他府県のそれは、湯豆腐のように、味が移ったり香りがまざったりしないよう、鍋の種類によってあらかじめ素材を選抜しておくような印象を受けたものだ。


私は子どもころから多くの人たちにお世話になった。その人たちからいろんなことを教わった。それに加えて、I君や在日の友人たち、脳性マヒをもつ人たちとご縁を持てたことは、とても幸運なことだったと思っている。


自分と違うものを持った人との関わりは、新しい自分に気づくきっかけになる。見えなかったものが見えるようになり、知らなかった世界を知るようになり、思いもしなかった未来を手繰り寄せることにもなるだろう。

もちろんそれが裏街道への入口になる可能性もあるのだが、それと気づいたときにくぐるか引き返すかは本人次第。そこに至るまでにどのような経験をし、なにを学んできたかがそこでの判断を分ける。自己責任である。

様々な個性を持った者同士が、その個性を認め合い、尊重し、補いあって人間関係を作り上げていく。そんな社会になればいいと思うし、そうであってほしいと強く願う。



gonbe5515








by starforestspring | 2019-06-17 14:50 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

74%

先日発表された読売新聞のアンケート(世論調査)によると、韓国のことを信頼できないと回答した人が74%だったそうだ。数字を見てビックリ。わが目を疑うとはこのこと。

74%?

この程度しかいないの?ということは、26%もの人が、韓国を信頼できると思っているということか。

この26%の人たちは、日韓合意破棄、慰安婦財団解散、旭日旗問題と当日の観艦式における手のひら返しの旗の掲揚、レーダー照射問題における開き直り、徴用工判決、文国会議長天皇侮辱発言などの出来事をご存知ない?

韓国の国会議長、昭和天皇を「戦犯」と決めつけ、上皇陛下を「戦犯の息子」と言い、韓国にきてひざまずいて謝れと言ったヤツだが、こいつが「謝罪の意向」を示したというニュースが出ていた。


「謝罪の意向」を示した場所は、オバマ大統領に出来もしないことを約束した上「トラストミー」と念押ししたにもかかわらず約束を守れず、アメリカにも国内にも恥をさらした鳩山元首相と一緒に食事をしていた”食堂”。

まして鳩山元首相は「韓国人の立場では納得できるが日本人にとっては天皇を・・」と、国会議長の発言そのものを否定してはいない。あなたの言い分は韓国人としてはもっともだけど、日本人には通用しないと言ってるだけだ。それに対し国会議長が「全面的に共感する」と返したことが、なんの謝罪になるというのか。外交ルートで抗議した日本に対する返事のつもりなら、日本政府もなめられたものだ。案の定、菅官房長官はこの発言に対し「鳩山氏との会談なのでコメントは控える」としている。当然だろう。仲良し同士がメシを食いながら雑談している内容を真に受けてコメントするほど菅官房長官および日本政府はヒマじゃない。

その上、この件をもって 「韓日関係の改善のために文議長が決断を下したものという見方が政界から出ている」などと書く中央日報のおめでたさよ。自らが信じる信条に基づいてどんな主張をしても構わないが、その主張が自分たちにとって“だけ”都合のいい思い込みで成り立ち、読者に納得させられるものになっていないことを恥と思えよ。


それから、忘れていると思われては心外なのでついでに言っておくが、東日本大震災のときのACLでの試合のとき、お国のチームのサポーターが『日本の大地震をお祝います』という垂れ幕を出したことを私は忘れていない。中越大地震の時、「もっと死ね!」と罵ったことも私は忘れてはいない。

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旭日旗及び旭日旗に似たデザインのポスターや絵画にことごとく文句をつけるソ・ギョンドクという大学教授とそれを後押しするマスコミがいる。旭日旗について文句を言い出したのは、例のキ・ソンヨン君事件以降のことだと誰もが知っている(キミたちは否定するだろうが)。

反日に利用するための道具として旭日旗は韓国に利用されている。旭日旗を掲揚することは、挑発・差別行為だと言いがかりをつける。世界から旭日旗デザインを失くすために監視の目を光らせようとみんなで叫ぶ。そういやちょっと前、弁当の包装紙にも文句つけてたな(アホや)。私はそんな運動を必死こいてやっている姿を見て鼻で笑いつつ、憐みしか感じないのだが、この垂れ幕は違う。

天災によって命を落した人たちに対する冒涜。財産を、家族を、友人を失くした人々に対する冒涜。日本という国に対する冒涜。知らないのなら教えてあげよう、日本ではこういう行為をするヤツのことを『人でなし』『犬畜生』と言う。


文国会議長、自分たちの耳に心地よいことだけ言ってくれる元首相とメシ食う前に、やることがあるだろう。「全面的に共感する」ですと?それで謝罪したことになるのなら、「韓日関係改善のための決断とほめてくれるなら、楽な国ですな。言葉が軽いですな。その軽い言葉で一喜一憂するお国の人たちは・・・(以下想像にお任せします)。



gonbe5515




by starforestspring | 2019-06-15 18:45 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

「100-4」より「96+4」

我が家の近所に県立の高等支援学校がある。月に何回か、生徒さんたちが国道の信号機のところに幟を持って立ち、行き交う車に挨拶を送ってくれる。今日がその日だったようで、通勤途中、赤信号で止まっていた私に、ある女子生徒さんの視線がピンポイントで届いた。「おはようございます!」彼女の唇がそう動いたのが見えた。ええ、もちろん運転席から手を振り挨拶させてもらいましたよ。


平成30年度の内閣府の発表によると、日本の人口千人につき、身体に障害を有している人数は34人、知的障害を有している人数は9人とのことだ。合わせて全体の4%強。

昔、本宮ひろ志さんのマンガだったと記憶しているのだが、支持者を集めようとする政治家に対し、ある人が質問した。「この国では、いわゆる健常者としての暮らしが叶わない人々が3%に相当する数存在します。その3%に対してあなたはどう対処なさるおつもりですか?」政治家答えて曰く、「そんなものは数のうちに入らん。放っておけばよい」その答えを聞いたある人「私の一族は代々、そういう方々に対して手を差し伸べるべきという教えを受け継いでいます。あなたがそういうことなら、私はあなたを支持することは出来ません。失礼します」と部屋を出ていく。(この人はその後、その政治家によって“消されて”しまう)

ウロ覚えだがまあだいたいこういうものだったと思う。私はこのとき初めて3%という具体的な率を知り、その3%に対する姿勢の違いについて考えるきっかけをもらったのだった。


「障害を持つ赤ちゃんをこの世に送るとき、神さまはその子を愛し慈しんでくれそうな夫婦を選ぶ」という話をよく耳にする。私はこの話をある面で信じる。そしてある面でおかしいと思っている。



先の話のように、100のうちの4を無視するのか、それとも100に内包すべきものとして臨むのか、どちらをとるのか、どちらの道に国民を連れて行くのか、それによって障害を持つ人たちとその家族の暮らしやすさはまったく違うものになるはずなのだ。

障害を持つ子供を抱えた親が、子育てに関わるさまざまな苦労、金銭的負担、悪意のある差別、悪意のない差別に直面する。それは社会が「100-4」になっているからではないか。健常者と“そうでない者”とを分けていからではないか。そんな社会なら「神さまがあなたたちを選んでこの子を授けて下さったのよ」という言葉は、体のいい押しつけでしかない。4%の人たちのご両親を慰撫するためだけの道具、そう解釈する人がいても、否定することは出来まい。

「あなたたちを選んで」は確かにそうかもしれない。私がおかしいと思うのは、この言葉をそのまま受け止めれば、その子は「あなたたち」だけのものであり、「あなたたち」以外の人はその子に対してなんの責任も負わなくていいという風に聞こえてしまうことだ。授かった子供はご両親の子供であるけれど、同時に私たちが暮らすこの社会を構成する一員としても生まれてきたのだ。であれば、その子が所属する同じ社会の一員として、私たちもまた、その子が健やかに育つことが出来るような環境を整える責任があると思うのだ。

障害を抱えた人が、障害を抱えていない人たちと同じ空間で自然に暮らすことが出来る、そういう社会こそ「96+4」である。白い杖を持った人が安心して歩くことが出来る誘導用ブロックの設置、車椅子を使う人が不便なく通れる段差のない歩道、エレベーターのない店舗に上下階を行き来するための車いす用の昇降機の設置など、やるべきことはあちこちにある。


そしてなにより、障害をひとつの個性と捉え、障害ゆえに出来ないことは、周りの人間が手伝うのがあたりまえなのだということを、九九を覚えるのと同じように子どもたちに教えていくことこそ、まっさきに取り組むべき大切なことだと思う。

差別と偏見はなくならない。なくなってほしいけれども、それを望むのは正直現実的ではない。だとしたら、「96+4」と捉える人の数を増やす教育や施策を行っていこう。障害をもつ人たちの姿が、そうでない人たちと同じ場所で、なんの違和感もなく迎えられる。そんな国になるように、年月をかけて変えていこう。障害を持つ人たちが心穏やかに笑顔でいられるのが家庭という閉ざされた空間、学校という広くもない空間だけであってはならない。


この国のどこにいても、その存在をあたりまえに受け止めてくれる人たちが大勢いる社会を。階段の手前で止まってしまった車いすの人に、すぐに手を貸してくれる人がそばにいる社会を。どこのスーパーでも、どこのコンビニでも、筆談をするための紙と鉛筆が置いてある社会を。

私に笑顔で挨拶してくれた彼女が大人になったとき、今日と同じような笑顔を誰かに届けられるような、そんな社会を。



gonbe5515




by starforestspring | 2019-06-12 14:52 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

食べるということ 2

食事を始める前に口にする言葉「いただきます」。これは食材となったものたちに対して「あなたの命をいただきます」「あなたの命を私の命とさせていただきます」という意味だ。永六輔さんからそう教わった。

小学生のころ、給食を食べ始める前に唱和する「いただきます」は、私にとって単なる六つの音でしかなかった。言っておけばそれでいい言葉でしかなかった。それが永六輔さんのこの言葉によって、「いただきます」が腑に落ちた。

食べものは命なのだ。牛や馬や豚、魚、鳥、貝。野菜もまた命なのだ。それぞれの命を食べて私たちは生きている。罪深いことなのだけど、生きるためには食べなければならない。だから「いただきます」なのだ。

先日のような番組を見るたびに、食材となった命に対する感謝とか、自分自身の罪深さとか、そういうものに全く頓着している様子がないことに腹が立つ。

食べきれずに残してしまったたくさんのグリーンカレー。それはきっと廃棄されるに違いない。そこに使われていた食材、米や野菜や肉があれば、何人の飢えた子供のお腹を満たすことが出来ただろう。



食用として生まれてきた牛や豚は、生まれてきたその瞬間から運命は定まっている。大きくなったら人間に食べられる。食べられるために食肉センターという清潔そうな名前のついた屠殺場で殺される。殺されるために生まれてくる。

いつかの番組で、牧場で生まれたばかりの子牛を見た女の子が「キャーカワイイ!」と大きな声で言っていた。キミはやがてその牛を食べるのだ、「カワイイ!」と言った同じ口から「オイシイ!」という言葉を発するのだ。

他の命をいただいて今の自分が生きているのだということに気づけ。自分たちのために食肉センターに運ばれる動物のことを想え。能天気に笑ってることの罪深さに気づけ。それが出来てなお、大食い番組を見て笑えるか?


「愚民化作戦」に嵌ってしまった人々が増え続けたその先に、なにがあるのか。たぶん両手を広げて待っている「暗澹たる未来」という名前の食肉センターだ。人々はみんなそこに入って行く。

脳天気に笑いながら。



gonbe5515






by starforestspring | 2019-06-05 12:13 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

食べるということ

私は初めて会った人との食事が苦手だ。滅多にはないのだが、仕事の関係でそうするしかない場合がある。

食べる姿って、動物としての根っこの部分というか、本性が現れる部分というか、そんな気がして。綺麗な服とか、整った髪型とか、美しい顔立ちとか、そういうもので覆い隠せない素の部分が、食べる行為の中で見えてしまうことがある。

今日初めて会う人の、そういう姿を見る。今日初めて会う人に、そういう姿を見せる。実に気が重い。

食べ物が口に入った状態で喋る人の口の中が見える時。スパゲッティが盛られたお皿のすぐ近くまで背を丸め、顔を寄せ、フォークで巻いたスパゲッティを口に運ぶ姿。

その人についていろんなことを知った上で、そういう姿を見るのとは違い、初めて会う人にそんなことされたら、目から入ってくる情報だけでその人を判断してしまいそうな自分が恐いのだ。




世のなかに、食べ物を題材に取り上げる番組がたくさんある。私は民放をほとんど見ないので、そういうのが放送されてても見ることもないのだが、どうしても目に入ってしまう時や、気乗りしないのだけど、見ざるを得ない場合がある。


先日もやってたんだ、大食いに挑戦するタレントさん、激辛麻婆豆腐に挑戦する俳優女優さんが出演してた「有吉なんとか」という番組で。

タレントさんや俳優さんの『大食い』を見せる番組って、なにが面白いの?なにが可笑しくて笑ってるの?

10人分のグリーンカレー。皿の上に盛られたそれは重さは4㎏を超える。それを食べろと言う。食べると言う。頑張ると言う。余裕です!と言う。そして食べ始める。カメラはその姿を映す。口の中まで見えてしまいそうなくらいカメラを寄せて撮る。



このブログは私の井戸だから、常から思ったことをそのまま書いている。今日もまた書く。

ああいう番組の制作を指示、または許可したプロデューサーは下品だ。ライオンだって満腹の時は、目の前を通っていくシマウマの子供をやりすごすのだ。生きていくために必要だから食べる。食べるために殺す。食べないから殺さない。

10人分のカレーを食べることは、生きるために必要なのか。苦悶の表情を浮かべながらスプーンに乗せたライスを口に運ぶことに意味はあるのか。美味しく食べてもらうために味付けされた料理を、味わうことなく飲み込むことは、料理人に対する侮辱だと思わないか。


ねえキミタチ、食べ物をナメてない?牛とかニワトリとか豚とかの命をナメてない?今日食べるものがなくて、膝を抱えているやせ細った子供がこの世界のどこかにいるのに、こういう番組を作ることに、なんのためらいも罪の意識も生まれないのかい?


企画する会社、制作する会社、その企画書を通す会議、従わざるを得ない現場。そうして作られた番組を見てお気楽に笑ってる視聴者。それぞれに言いたいこと、事情はあるのだろう。そんなことわかってる。それでも言う。


キミタチは下品だ。




私は懸念している。もしかしてこれは、某国の日本に対する遠大な「愚民化作戦」のひとつで、彼らはその片棒を担いでいるのではないかと。もしくはその作戦にまんまと嵌ってしまっているのではないかと。


50年、いや30年後に、この国が某国に征服されていないことを願っている。



gonbe5515




by starforestspring | 2019-06-04 15:00 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

G20迫る

ここ最近、中央日報が、政府の反日姿勢を批判するような内容の記事を書いているのが気にくわない。


自分たちでさんざん反日を煽っておきながら、そんなことなかったかのように、善意の第三者のような態度を取ってる。

この無責任さがすごい。これが韓国で一番読まれてる新聞(中央日報談)だなんて言うのだから恐れ入る。すごいなあ中央日報。自分たちで観艦式の時とか、レーダー照射問題の時とか、慰安婦財団解散の時とかの記事と最近の記事とを合わせて読んでみろよ。恥ずかしくって穴に入りたくならないか?

日本政府内で、G20のときに安倍首相と韓国大統領との会談をセッティングしようとする動きがあるらしい。「隣国の大統領が来るというのに、無視するというのもどうか」という意見も載っていた。

無視すればいいと思う。

そういう政府の心配りを、連中は自分の都合のいいふうにしか解釈しない。曰く
「我が国との関係悪化を懸念した日本の首相が、大統領と会うことで修復に乗り出した」
「徴用工問題、慰安婦財団、旭日旗、レーダー照射、これら全ての問題について我々の主張が認められた」

とね。まず間違いなくこうですよ。過去の彼らの行動がそれを裏付けています。もし違ってたら裸で町内一周してあげてもいい。

G20という、「当然首脳会談はセッティングされるだろう」という思惑が大勢を占めるときにこそ、戦略的無視。こうでなければ連中のご都合主義は直らない。クレクレ君から脱却出来ない。反日さえ唱えておけば、なにをやってもなにを言っても許される、たとえそれが国際法に違反していたとしてもという、彼らの偏狭なモノサシからも抜け出せる。

結局彼らのためにもなることなのだ。首相、会わないで下さい。目も合わさないで下さい。大丈夫。各国の首脳たちもその行動を支持してくれるはず。


gonbe5515



by starforestspring | 2019-05-10 18:24 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

嘘つき大会

どういうわけか4月1日になるたんびに、思い出すことがある。海外のある国で毎年開かれている、誰が一番すごい大嘘をつくかを競う「嘘つき大会」で、ある年のグランプリを取った嘘。曰く

「今年の嘘つき大会は中止になりました」

・・・思い出すたびに笑える私は“シアワセなやつ”なんだろう。


そうそうこんなのもあった。

「昨日A君が『俺はウソつきなんだ!』と言ってたよ。」

さて、Aクンはウソつきなのかそうでないのか。。。


県議会選挙が始まっている。選挙カーのウグイス嬢が大きな声で「〇〇をよろしくお願いいたします。」「県政にかける〇〇の夢を叶えさせてやってください」などと叫んでる。

自分の思うところを述べ、自らの立ち位置を明確にし、もってそれに賛同した人が一票を預けるのである。お願いしますと頭を下げて回り、果ては土下座までして自分に票を投じてくれるよう頼むような今の選挙活動の在り方は、本来あるべき姿ではなかろう。自分の思想、やること、やらないことを自らの言葉で公に明らかにすること、まずはそれが先決。選挙っていうのは、選挙期間だけ行うものではないはずだ。候補者たろうとする者は、日々の暮らしの中で、広く県民に対し、自ら思うことを伝えつづけること。それが選挙活動であろう。


政治家ってのは、大変な仕事だと思う。清廉潔白で政治の荒海を渡っていくことは難しかろうし、清濁併せ呑まないと、自らの理想は実現出来ないものと聞く。

しかし、せめて、嘘はつかないでもらいたいものだ。公僕であることを忘れ、レールを踏み外さないでもらいたいものだ。遠ざかっていくウグイス嬢の声を聞きながらそんなことを思った。


gonbe5515




by starforestspring | 2019-04-02 17:38 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

ごーえーどー!ごーえーどー!

大相撲において最近変わったことと言えば、観客席で掲げられる力士の名前を書いた手ぬぐい、そして横断幕。加えて手拍子と力士名の連呼。

アメリカでは、試合前の選手入場などでの照明、音響を使ったショーアップが盛んである。MLBの中継になじんでいる方はご存知のとおり、ファインプレーにはスタンディングオベーション、まずいプレーにはブーイング。それはもう実にわかりやすいものである。それに影響されてか日本でも、バスケットボールやカーリングなどで、アメリカに倣おうとする姿勢がちらりほらり見える。

しかし

大相撲にショーアップは似合わないだろう。手ぬぐいや横断幕を掲げるのまでは良しとしても、手拍子やスタンディングオベーションはまず間違いなく似合わない。そぐわない。

見習うべきもの、守るべきもの。そのあたりの塩梅を間違えないでもらいたいものだ。アメリカはアメリカであればこそのスタイルがある。日本には日本であればこその姿がある。大相撲にスタンディングオベーションが現れたとき、私はこの国が根っこから変わってしまったことを悟るに違いない。

勝って奢らず、負けて腐らず。

ゴールを決めたあと、喜びを表すパフォーマンスをするサッカーや、ホームランを打ったあと、バットを投げ上げ(プロ野球現巨人軍監督原辰徳・・同い年だから呼び捨てでもいいんです・・がこれをやったときには本当に原辰ものでした)たりするのは、日本人にはあんまり似合わないような気がするんですよね。


そういうものとは違う次元にあるもの、それが大相撲。だと私は信じております。

これまでもそうであったように、これからもそうであり続けてほしい。御嶽海や遠藤や貴景勝を応援する気持ちはよおくわかりますけれども、やめませんか?手拍子と名前の連呼。


gonbe5515



by starforestspring | 2019-03-19 16:32 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

笑たはる 再び。

自宅近くにある大型酒販店。国道に面した駐車場には出入り口がふたつあって、そのひとつには「入口」もうひとつには「出口」と大きく白い字でペイントされている。多くの客はそれに従って出入りをしているのだが、たまに出口から入ってくる車があるし、入口から出て行く車もある。

同じく近くにある大型スーパー。出入り口に最も近い場所に「身体障害者用駐車スペース」として、大きく車椅子の絵が描かれている。スーパーに入る前にそこに駐車されている車を見てみると、四葉マークは貼られていない。そのスペースに停めた車から降りてくる人を見たことが何度もあるが、足取りも軽やかに店内に入って行かれる。

昔、サッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が、「日本人は明らかに車の来ない横断歩道でも、信号が赤なら立ち止まり、青になるのを待つ。その国民性にサッカーが強くならない理由がある」と宣ったことがある。自分の頭で考え、判断することが出来ず、教えられた枠から抜け出せない・・・というのが発言の真意だったらしい。

交通法規による規則ではなく、店が決めたルールに反しても罰せられることはない。だから入口と書かれていても出て行くし、健常者であっても楽したくて、玄関に近い身体障害者用と一目でわかるペインティングがされているところに、躊躇なく車を停める。法によって罰せられるのはイヤだけど、社会から非難と蔑みの視線を浴びるのは痛くもかゆくもない。そういうことなのか。

小さいなあ。

むしろ痛いのは社会の目だと思うが。

その姿を子供に見られていても平気なのか。子供から「どうして?」と透き通った瞳で問われても平気なのか。

モラル。

「おにいちゃんが見たはるえ」
「おっちゃんが笑たはるえ」

こんな言葉で子供の行為をたしなめていた京都の親御さんたちは決して間違っていなかった。最近改めてそう思う。


gonbe55515


by starforestspring | 2019-03-06 15:43 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

文国会議長「盗人猛々しい」発言に思う

「お里が知れる」という言葉があります。
その人の立ち居振る舞い、言葉遣い等々から、その人の育ってきた環境、受けてきた教育の程度が予測できるというもので、ほとんどの場合それは否定的に使われるものであります。

一般庶民に「お里が知れる」発言があったとしても、目をつぶらなければならない寛容さが、その発言の対象に求められるのはやむを得ないことです。なにしろ相手は庶民ですから。言うだけで責任はありませんから。しかし、庶民から信託を受けて議員となり、かつ国会議長という重責(少なくとも日本でのそれは重責であります)にありながら「盗人猛々しい」という言葉を公的に発言してしまう人のことを、なんといえばいいのか。

やはりこの場合も「お里が知れる」を適用して問題ないですよね。そういう発言をしてしまう人を国会議長に選んだ議員の集まり、そういう議員を選んだ国民。程度が知れますな。

「国民はその程度に応じた政府しか持てない」

その言葉の正しさを世界に証明してくれる国、それが韓国。

“その日”に備え、関係各国に根回しをしているところ。議長の発言を聞き流しているような日本政府の姿勢をそう見ている私である。二階幹事長の発言は、その動きを悟られないようにするための手管なのだと。


その日は来る。きっと来る。来ますよね安倍総理?


非礼極まりない韓国に、相応の制裁を。
日本が韓国にしてきたことを正しく伝えていない韓国政府に、制裁を。


gonbe5515





by starforestspring | 2019-02-19 14:13 | それでいいのか日本人 | Comments(0)


タベリストgonbe     よしなしごと残日録


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