カテゴリ:それでいいのか日本人( 198 )

バカにつける薬

私が借りている駐車場から自宅に戻る道の途中に居酒屋がある。店の前にはいつも車が停まっている。店に飲みにきた人の車と思われる。最初は飲酒運転を疑ったが、その居酒屋、運転代行業を兼業しているとあとで知った。なかなか商才のあるご主人である。

飲酒運転は昔に比べるとかなり減ったらしいが、なくなったわけではない。飲酒運転で事故を起こし、それまで培ってきた会社での地位や信用、収入を失った人もいる。しかし同情は出来ない。飲んだのに運転したその人自身が悪いのだ。

いくら私が酒好きでも、飲んで運転する人を擁護する気はない。

「飲酒運転わかっちゃいるけどやめられない」。そんなのは戯言である。自分の心の弱さを正当化しようとしてるだけである。 わかっちゃいるけどやめられない」と、おもしろおかしく開き直ってる時点でアウト。なんにもわかっちゃいないのである。

恋人とムフフなことをしている真っ最中、その瞬間がくる前にひと呼吸おいてかぶせることができる男と、我慢できずにかぶせないまま続けてしまうヤツとの違いと同じである。その先にある未来の、彼我の差を想像しない、想像できないのだ。

ことはいたって単純。バカなのだ。甘いのだ。なめてるのだ。自分を自分で制御できないやつに、人生を制御できるわけがない。



加齢による運動機能や判断能力の衰えに起因する高齢者ドライバーの事故を防ぐために、免許制度の見直しや安全運転装置設置のための自治体からの補助などが行われている。それなら飲酒運転を防ぐための装置の研究、開発、設置も促進されるべきではないか。

バカにつける薬はない。それなら酒を飲んだら運転が出来ないようにするしか方法はない。バカはどうなったってかまわない。バカのために人生を狂わされるかもしれない人たちをこそ、守るべきである。


gonbe5515




by starforestspring | 2019-09-16 13:03 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

代表選手たちの君が代

去年、夏の甲子園で、金足農業高等学校の選手たちの校歌斉唱の姿が話題になった。これまで、体が反ってしまうほどに大きな声で校歌を歌った高校は、誰の記憶にもなかったからだろう。

よく見るとあれ、選手たちだけではなくて、スタンドに応援にきている生徒たちも同じ歌い方をしている。ネットで「全力校歌」という言葉で表現されていたのを見たが、簡潔にして意味明瞭なのに感心した。去年の夏、私が一試合ごとに金足農の勝利を強く願っていたのは、あの姿を見たかったからだ。あの姿を、とても羨ましく、微笑ましく見させてもらっていたからだ。


最近、たてつづけに日本代表の試合を見た。南アフリカ戦のラグビーと、ミャンマー戦のサッカーである。その試合前、代表試合では必ず行われる両国国家演奏において、日本代表チームの姿は対照的だった。ラグビーの代表選手たちは、大きな声で君が代を歌っていた。サッカーの代表選手たちは、口をもごもごさせて歌っているのか歌っていないのかわからない歌い方をしていた。


サッカーの代表選手たちを見ていて、高校生のころの入学式卒業式を思い出していた。あの頃の私たちにとって、大きな声で(いや普通の声でも)君が代を歌うことは気恥ずかしい行為だった。ほとんどの生徒がまともには歌っていなかった。当時、左側にどっぷりだった私は歌いもしなかったし、国旗からも目をそらしていたものだ。


日本人すべてに君が代を歌うことを強要するつもりはない。「歌わず仰がず」を非難するつもりもない。かつての私のように、君が代日の丸は抑圧のしるし、憎むべき対象であり、従うべきものではないと信じている人もいるだろうし。しかし、「日本を代表するチーム」に所属するのであれば話は別で、そこはきっちりと代表としてのふるまいをすべきではないですかと問い質してみたいのだ。

ラグビーの日本代表の中には、フィジーやトンガ、南アフリカやニュージーランドで生まれ育った選手がいる。帰化した選手もいれば、生まれた国の国籍のままの選手もいる。そういう彼らが試合前のセレモニーで肩を組み、大きな声で君が代を歌ったのはなぜか。

そこのところを考えていると、私はどうにもサッカー代表選手たちの姿に物足りないものを感じてしまうのだ。歌わない選手がいることで、国民の多様性、国家の寛容さを垣間見ることが出来る・・っていうのも確かにあるんだけれど。


ラグビーのワールドカップがもうすぐ始まる。サッカーのワールドカップ予選もまだまだ続く。来年の東京オリンピックには世界中の国から選手がやってくる。それらの大会で行われる国歌演奏、国旗掲揚の際、選手たちがどのようなふるまいをするのか。お国柄、お人柄を知るひとつのよすがとして見逃すまいと、今から楽しみにしている。


gonbe5515



by starforestspring | 2019-09-11 13:24 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

脱優等生

近ごろの私の心情をうまく突いてくれた記事が読売新聞に掲載された。


>日本はこれまで、国際社会や他国との協調を重視し、反発を生むような強硬措置は控える「優等生」だった。

そうだったのだ。場を荒げず、角が立たず、八方丸くおさまるように、飲み込まなくてもいいものを飲み込み続けてきた。それが日本の“外交”であった。私は大いに不満だったのだ。

私から見れば時々の政府は、日本という国の根幹に関わる部分であるにも関わらず、衝突を回避するために「外交的配慮」を繰り返してきた。結果どうなったか。なにかことが起こったとき、強硬な態度で手を振り上げれば、日本は頭部を両手でかばい、そこから顔をのぞかせて微笑みながら「どうすればその手を下ろしてくださいますか?」と問いかけてくる。そこでもう一発ガツンと怒ってみせれば「まあまあまあ、落ち着いてください。それではこうしましょう。おっしゃるとおり〇〇致します。その代わりと言ってはなんですが、△△はナニしていただいて・・」と折れてくる。それがかつての日本に対する評価ではなかったか。


教科書問題、靖国参拝問題、尖閣諸島中国漁船衝突事件、みんなそうだ。子供たちに日本の歴史を教えるのに、なぜその内容を外国の要求に沿ったものにしなければならないのか。我が国が関わった戦争で命を落とした大勢の方々に対する慰霊の行事や行為を実施するのに、なぜ外国の“遺憾の意”とやらに遠慮して取りやめなければならないのか。我が国が領海と主張する海域で違法操業する他国の漁船を取り締まる。その職務を忠実に行っている海上保安庁の船に、攻撃的に船をぶつけてきた漁船の船長を、どうして無罪放免しなければならないのか。船はそのせいで沈没してしまう可能性だってあったのだ。保安官たちは海の藻屑と消えたのかもしれなかったのだ。(その時の映像は今でもYoutubeに残っている。尖閣諸島” “衝突”などのキーワードで検索すればたくさん出てくる)


特に尖閣諸島での問題は、志ある海上保安官がyoutubeに動画を公開しなければ、中国の主張が正当化された形で“解決”してしまいかねなかったのだ。その時その場でなにが起こっていたのか。相手がなにをし、こちらがどう対応したのか。動画に現れた疑いようのない「事実」を、頭から否定し恫喝しながら主張を通そうとする中国に対し、日本政府は膝を屈したのだ。「外交的配慮」「政治的判断」とやらいう言い訳に困ったときに必ず彼らが持ち出す言葉を使って、自らの行為を糊塗したのだ。

※この事件に対する私の怒りは「あるご主人の独白」という記事でぶちまけている。



衝突を恐れて相手の言い分を否定、拒否しなければ、相手の言い分が本当のこととして世界中を歩き始める。そうなってしまっては、あとで「実はそれは・・・」と言ったって遅いのだ。遅いだけではない、未練がましく自己正当化をしようとする情けなく信用できない連中とスタンプを押されるのだ。一度押されたスタンプを消してしまうのに、どれほどの年月が必要か、日本はすでに体験しているではないか。明治から昭和にかけてのこと、そして昭和20年以降のことを勉強し直してみればいい。

八方美人でいる必要はない。トランプ流だなんだのと言われても気にすることはない。完璧な人間はいない。人にはいいところがあれば悪いところもある。国や政府だって同じではないのか。悪いところも確かにある。だけど嘘はつかないし、イザというときには言うべきことは言うし、身に覚えのない言いがかりをつけられたら、相手を論破するまで引き下がらない。そういうヤツのほうが信頼するに足る友人として認められるはずだし、実際私たちは日常生活でそうしているはずだ。

その場その場で言うことが変わる、やばくなったら言い訳して逃げ回る。自分の主張を通すためなら真顔で嘘をつく。その嘘がバレそうになったらまた新しい嘘をつき、とにかくその場をなんとかやりすごそうとする。そんな奴を信用できるか?

私は日本の国民に問いかけたい気分だ。我が国の子供たちに外国の主張する歴史」を教えていいのか。この国の未来のために命を落とした方たちが祀られている靖国神社に背を向けていいのか。なかんずく後ろ足で砂をひっかけていいのか。尖閣諸島事件で中国の言い分を飲み、船長を帰国させたことを恥と思わないのか。

優等生でなくてもいい。悪ガキ上等である。


gonbe5515



by starforestspring | 2019-08-29 12:22 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

2019年の8月9日

2019年8月9日読売新聞朝刊、その一面に「ナガサキ」の文字は記されていた。

読売新聞編集部ご一同、私は少し、ほっとしたぞ。

先ほど、11時2分を過ぎた。今日も空は青く、雲は白く。蝉が鳴き、麦わら帽子が風に揺れ。74年前の長崎も、同じ夏の風景だったはずだ。

戦争を終わらせるため、日本政府に決断させるため、原爆を投下したという評価がアメリカでは主流だそうだ。都合のいい話である。あのキノコ雲の下で命を奪われた多くの市民、彼ら彼女らは非戦闘員であったのに。昨日と同じ今日を過ごすつもりで青い空の下、昨日と同じような時間を過ごしていたのに。

ヒロシマ、ナガサキに落とされた新型爆弾によって、日本の政府は降伏を決めた。軍部の一部には徹底抗戦を主張する人たちがいたそうだが、その主張が通ることはなかった。


私たちの今の生活は、先人が築いてきた歴史の上に成り立っている。そして私たちの今の生活が、あとに連なる子孫たちの生活のもとになる。であるならば私たちは、今が昔からつながったものであり、また未来につながっていくことをほんの少しでも意識して生きていくべきではないか。歴史の中で生きてきた人たち、亡くなった人たち。その人たちの屍の上に私たちは生きていることを心の片隅にでも収めておくべきではないのか。

新聞の記事や祈念式典は、片隅に収めたものを引き出すきっかけとなる。

「人は二度死ぬ。一度目は肉体の死。二度目はその人のこと覚えている人がいなくなったとき。」

ヒロシマ、ナガサキ、そしてオキナワ。もちろんそれだけではない。この国には忘れてはならない事ごとがたくさんある。それらはもう過ぎたようでいて、今に至るもつながっている。

未来の人々がずっと、二度目の死を彼らに与えないよう願う。


gonbe5515




by starforestspring | 2019-08-09 11:56 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

2019年の8月6日

昭和20年8月6日の広島、wikiによると「朝の気温は26.7℃」であったらしい。当日8時15分の気温はわからないが、当時にすれば暑い朝だったのではないだろうか。


2019年8月6日読売新聞朝刊、その一面から「ヒロシマ」の文字が消えた。

広島にある広島平和記念資料館がリニューアルされたらしい。入館者の動線を見直し、展示資料の並べ方、順番を変えたとか。これはなんとか時間を作って見に行かなければと思っていた矢先、今朝のテレビ欄で、今夜10時からNHKスペシャルで放送してくれることを知った。→「“ヒロシマの声”が聞こえますか 生まれ変わった原爆資料館」

もし「NHKを守る会」というものが立ち上げられたら、私喜んで参加しようと思います。


ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下についての情報の中には、「それが人間のやることか!」と思わずにはいられない事柄がいくつも出てくる。戦争をしているのだから相手国に対しての憎悪は当然あるだろう。しかし、科学的な観測、検証を行うために雲の量を量ったり、風圧を計測するための器具を落下傘につけて飛ばしたり。なによりひとつの町が原爆によってどのように破壊されるのか、それを比較するために投下候補地にはあえて空襲を行わず、町の姿をそのままにとどめておいたというのを聞いたりすると本当にもう・・。

その兵器によって命を落とした人、重い病になった人、そういう人たちを間近で見てきた人が、そういう事実を知ったとき、言葉に言い表せない感情が胸にたまるのではないか。

戦争それ自体が人間を人間でなくする。人間のままでは戦争を戦えない。であったとしても、その向こうに大勢の市民の死が見えているのに「新しい兵器の威力を知るため」に観測用、検証用を準備したその周到さ、冷静さが、私にはなにより恐ろしい。



今日の午後、国道沿いの歩道を、夏期講習の帰りと思しき高校生のカップルが微笑みながら歩いていた。二人の髪は汗で濡れていて、彼よりほんの少しだけ背の高い彼女は、彼の歩幅に合わせ、彼の隣を少し背を丸めて歩いていた。

バックミラーで彼と彼女の背中を見送った。彼と彼女は今日がなんの日かを知ってくれている。きっと、知っててくれている。大丈夫、バトンはちゃんとつながっていくのだ。


gonbe5515





by starforestspring | 2019-08-06 17:09 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

図書館駐車場にて。

図書館の駐車場に車を停めて玄関に向かって歩いているときのことだ。一台の車が私の前を横切り、身障者用のペイントがされているスペースで止まった。扉が開き、中から一人のおばさんが袋を下げて降りてきた。袋の中身は数冊の本のようだ。おばさん、私の前方を足取りも軽く歩いていく。



おばさんに追いついて出来るだけ優しい口調で声をかけてみた。

「大変ですねえ」
「?」
「どこがお悪いんですか?」
「??」
「体がご不自由なら、普段いろいろとお困りのことも多いでしょう。お手伝いできることがあったらおっしゃってくださいね。」
「・・・・」
「最近はいろんな施設が体が不自由な方専用の駐車スペースを準備してくれるようになってよかったですね。でもせっかくのそのスペースを元気な人が車を停めていて、本当に必要な方が使えないことがあるそうじゃないですか。困ったもんです。」
「・・・」
「ああ、これは申し訳ありません、自分ばっかり喋ってしまって。お荷物重そうですね、お持ちしましょうか?」

さて、おばさんの反応やいかに。



・・・・最初の段落は事実。それ以降は、私の妄想である。実際、こういうふうに声をかけてみたい衝動に駆られたのだが、とりあえず抑えてみた。

吉野弘さんが「正しいことを言うときは、少し控えめにするほうがいい。正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい。」とおっしゃっていたのは知っている。

なかなかそこまで人間が出来ていないもんで困ってしまう。



gonbe5515







by starforestspring | 2019-06-29 12:37 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

今年の6月23日は雨。

今日は6月23日。沖縄慰霊の日である。

令和となり、平成はすこし遠いものになった。昭和はさらに向こうである。まして昭和20年というのは・・。



74年の月日が経った。だとしても今日6月23日は、8月6日、8月9日、8月15日とともに、日本人が記憶にとどめておかねばならない日だと思う。たとえその日を歴史の教科書でしか知らないとしてもである。

この国で起こったことであり、この国の民が犠牲になった日であり、その遺族は今も墓に手を合わせていらっしゃるのである。

私たちは大人としての務めを果たさなければならない。次の世代に伝えていかなければならない。渡していかなければならない。そして未来に向けて、自分自身をどう処するのかを、自分の頭で考えるようにしなければならない。


「6月23日? え~?わかんな~い!」
「8月6日? ・・・窪田正孝クンの誕生日! え?ちがうの~?」

などというアホをこれ以上増やさないために。


gonbe5515





by starforestspring | 2019-06-23 12:18 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

4の主張

先日、体に障害があるためエスカレーターでは左手に松葉杖を持ち、右手でベルトをつかんでいないと体のバランスを保つことが出来ないご老人のことが新聞で紹介されていた。ある日その人がエスカレーターの右側に立っていると、あとから右側を歩いて上がってきた来た若い男性がいら立ち、エスカレーターを降りたあと、そのご老人の頭をはたいていったそうだ。

世の中には、自分のモノサシでしか人を計らない人が多い。エスカレーターの前方に、松葉杖をついている人がいたら、誰しもその人の体がどういう状態なのか理解しそうなものだ。エスカレーターの右を空けておくのが是か非かなどというくだらない話につきあうつもりはない。自分以外の人が自分と同じではないという、当たり前のことに思いが至らない人がこの社会に存在するのはなぜなのか。

それが不思議でしかたがない。

小さな情報からいろんなことを想像することが出来る。左右の足を自由に使える人が松葉杖を使うか?みんなが左側に立っている、その人の左側は空いている。なのにその人は右側に立っている。知らないからそうしていると決めつける前に、ほかの可能性を探ろうとはしないのか?

想像しろ!考えろ!首の上についているものの中に入っているものはなんのためにあるんだ?


私事で恐縮だが、これまで何度も書いているように私は難聴である。NHKの朝ドラ『半分青い』をご覧になっていた方は、そこで紹介されていた難聴者の特徴をいくつか覚えていらっしゃるかもしれないが、ご存知ない方もおられるだろうから、改めてご紹介申し上げる。

難聴者は、音がどこから来ているのかがわからない。車を運転しているときに、救急車のサイレンが聞こえてきても、それがどちらの方向から近づいてきているのかがわからない。

難聴者は聴きたい音を拾うことが出来ない。たとえば居酒屋で大勢で飲んでいる時、四方八方で交わされている会話の声が入り乱れて耳に入ってくるため、自分の目の前にいる人の声だけを拾うことが出来ず、その人が喋っている言葉を判別できない。

耳が聞こえないというのは、見た目ではわからないから、生活の中の様々なシーンで、大勢の人に怪訝な顔をされる。買い物をしてレジの人が「〇〇円です」と言ってくれても、その声が小さければ聞こえないから、レジに表示される金額をのぞき込む。たいていの人がびっくりした顔をする。みどりの窓口で切符を買うとき、多くの場合行先や時間、座席についていくつかのやりとりがあるものだが、窓口の人はこっちではなく機械のほうを向いて喋るから、音がこっちに飛んでこない。だから何度も聞き直すことになる。

「おはようございます!」と呼びかけられても、姿が見えていないと声の主がどこにいるのか探すために首をキョロキョロさせることになる。聞こえればまだしも、その声が私に聞こえなかったら、私に挨拶してくれた人は、すぐ近くにいるのに反応しない私に対して「無視された」と思い込む。(それが理由で、今までどれほど人間関係に誤解を生んできたことか。。。)

表示をのぞき込むとき、聞き直すとき、なぜそういう行動に出るのかを不思議に思い、想像すれば、「ああ、この人は聞こえないんだ」という答えを導き出すのにそんなに苦労はいらないはずなのに・・と思ってしまうのはひがみだろうか。

調べてみると、エスカレーターに右側にしか立てない人のために東京都理学療法士協会というところがバッヂを作ったそうだ。なんだかなあ・・と思う反面、そうまでしないと現状はかわらないのかもなとも思ったりする。いっそ私も聞こえないことを周りに告知するバッヂをつけてみようかしら。でもつけることによって私の「聞こえなくてすみません」の気持ちが「聞こえねえんだよ!コノヤロウ!」な気持ちに変わってしまいそうでコワイ。

人はそれぞれ違うということ。ひとつひとつの行動には必ずそうなるべき理由があるということ。心に余裕を持つこと。相手を受け入れる部分を心の中に用意すること。その人のマイナスに自分のプラスを加えてフラットにしてあげようという積極性を持つこと。

それらのことだけでも、世の中はもっと暮らしやすくなり、そげも減るはずなのに。そして右側に立っていたご老人の頭をはたいて去っていくバカなやつもいなくなるはずなのに。

これは誠に個人的なことで恐縮の行ったり来たりなのだが、この際だからこの場を借りてお願いしておこうと思う。どうか、全ての邦画のDVDに、日本語字幕が出るように設定していただきたい。全然違うのですよ、あるのとないのとでは。字幕さえあれば、私は家人と一緒に邦画のDVDを鑑賞出来るようになるのだ。

以上、最後のはまあ個人的に過ぎるが、96の側に入らない4の一員の主張である。ご一考いただければありがたい。


gonbe5515




by starforestspring | 2019-06-19 14:52 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

湯豆腐より寄せ鍋

先日書いた「100-4」より「96+4」の続き・・というわけでもないが。。

私が小学生の頃、軽度の知的障害があったI君という子が同級生にいた。I君はひらがなの読み書きは出来た。計算は苦手だったようだが、遊ぶ時は私たちと一緒に遊んだ。彼は一部の生徒からいじめられることもあった。そんなとき別の生徒が助けに入ることもあった。I君が私たちと一緒の教室で授業を受けることは、私たちにとってはあたりまえのことだった。



あるカップルの結婚

あたりまえと言えば、当時の京都における高校入試の時に適用された「総合選抜制」という制度も、異質なものであったらしい。京都を出て他府県の高校を卒業した仲間と高校時代の思い出を語り合うときに話がかみ合わないことがあったのは、それが理由だったことも少なくない。

京都府に住む高校普通科への進学を希望する中学3年生が全員同じ試験を受け、合格した生徒はその居住地によって通う高校を振り分けられた。つまり府下で公立高校普通科合格者が1万人いたとしたら、入学式が終わったあと入った教室に、1万人のうちのトップの成績で合格した生徒と、最下位でぎりぎりすべりこんだ生徒とが机を並べてるなんてことも起こりうるのだ。

高校生活すべての面において、生徒同士でさまざまな化学反応を起こしていたように思う。だから私は寄せ鍋みたいな高校生活を送ってきた自覚があるが、他府県のそれは、湯豆腐のように、味が移ったり香りがまざったりしないよう、鍋の種類によってあらかじめ素材を選抜しておくような印象を受けたものだ。


私は子どもころから多くの人たちにお世話になった。その人たちからいろんなことを教わった。それに加えて、I君や在日の友人たち、脳性マヒをもつ人たちとご縁を持てたことは、とても幸運なことだったと思っている。


自分と違うものを持った人との関わりは、新しい自分に気づくきっかけになる。見えなかったものが見えるようになり、知らなかった世界を知るようになり、思いもしなかった未来を手繰り寄せることにもなるだろう。

もちろんそれが裏街道への入口になる可能性もあるのだが、それと気づいたときにくぐるか引き返すかは本人次第。そこに至るまでにどのような経験をし、なにを学んできたかがそこでの判断を分ける。自己責任である。

様々な個性を持った者同士が、その個性を認め合い、尊重し、補いあって人間関係を作り上げていく。そんな社会になればいいと思うし、そうであってほしいと強く願う。



gonbe5515








by starforestspring | 2019-06-17 14:50 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

74%

先日発表された読売新聞のアンケート(世論調査)によると、韓国のことを信頼できないと回答した人が74%だったそうだ。数字を見てビックリ。わが目を疑うとはこのこと。

74%?

この程度しかいないの?ということは、26%もの人が、韓国を信頼できると思っているということか。

この26%の人たちは、日韓合意破棄、慰安婦財団解散、旭日旗問題と当日の観艦式における手のひら返しの旗の掲揚、レーダー照射問題における開き直り、徴用工判決、文国会議長天皇侮辱発言などの出来事をご存知ない?

韓国の国会議長、昭和天皇を「戦犯」と決めつけ、上皇陛下を「戦犯の息子」と言い、韓国にきてひざまずいて謝れと言ったヤツだが、こいつが「謝罪の意向」を示したというニュースが出ていた。


「謝罪の意向」を示した場所は、オバマ大統領に出来もしないことを約束した上「トラストミー」と念押ししたにもかかわらず約束を守れず、アメリカにも国内にも恥をさらした鳩山元首相と一緒に食事をしていた”食堂”。

まして鳩山元首相は「韓国人の立場では納得できるが日本人にとっては天皇を・・」と、国会議長の発言そのものを否定してはいない。あなたの言い分は韓国人としてはもっともだけど、日本人には通用しないと言ってるだけだ。それに対し国会議長が「全面的に共感する」と返したことが、なんの謝罪になるというのか。外交ルートで抗議した日本に対する返事のつもりなら、日本政府もなめられたものだ。案の定、菅官房長官はこの発言に対し「鳩山氏との会談なのでコメントは控える」としている。当然だろう。仲良し同士がメシを食いながら雑談している内容を真に受けてコメントするほど菅官房長官および日本政府はヒマじゃない。

その上、この件をもって 「韓日関係の改善のために文議長が決断を下したものという見方が政界から出ている」などと書く中央日報のおめでたさよ。自らが信じる信条に基づいてどんな主張をしても構わないが、その主張が自分たちにとって“だけ”都合のいい思い込みで成り立ち、読者に納得させられるものになっていないことを恥と思えよ。


それから、忘れていると思われては心外なのでついでに言っておくが、東日本大震災のときのACLでの試合のとき、お国のチームのサポーターが『日本の大地震をお祝います』という垂れ幕を出したことを私は忘れていない。中越大地震の時、「もっと死ね!」と罵ったことも私は忘れてはいない。

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旭日旗及び旭日旗に似たデザインのポスターや絵画にことごとく文句をつけるソ・ギョンドクという大学教授とそれを後押しするマスコミがいる。旭日旗について文句を言い出したのは、例のキ・ソンヨン君事件以降のことだと誰もが知っている(キミたちは否定するだろうが)。

反日に利用するための道具として旭日旗は韓国に利用されている。旭日旗を掲揚することは、挑発・差別行為だと言いがかりをつける。世界から旭日旗デザインを失くすために監視の目を光らせようとみんなで叫ぶ。そういやちょっと前、弁当の包装紙にも文句つけてたな(アホや)。私はそんな運動を必死こいてやっている姿を見て鼻で笑いつつ、憐みしか感じないのだが、この垂れ幕は違う。

天災によって命を落した人たちに対する冒涜。財産を、家族を、友人を失くした人々に対する冒涜。日本という国に対する冒涜。知らないのなら教えてあげよう、日本ではこういう行為をするヤツのことを『人でなし』『犬畜生』と言う。


文国会議長、自分たちの耳に心地よいことだけ言ってくれる元首相とメシ食う前に、やることがあるだろう。「全面的に共感する」ですと?それで謝罪したことになるのなら、「韓日関係改善のための決断とほめてくれるなら、楽な国ですな。言葉が軽いですな。その軽い言葉で一喜一憂するお国の人たちは・・・(以下想像にお任せします)。



gonbe5515




by starforestspring | 2019-06-15 18:45 | それでいいのか日本人 | Comments(0)


タベリストgonbe     よしなしごと残日録


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