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子供のころから、ときどき見る恐い夢がある。
大きな大きな岩が追ってきて、逃げている。
遠くにあった岩がどんどん近づいてくる。
だんだん大きくなってくる。
すぐそばまでやってきて、つぶされそうになるのだけど、
岩は、直前でスピードを緩め、いつまでもいつまでも追ってくる。
逃げても逃げても追ってくる。

岩は大きく。
自分は小さい。
岩は速く。
自分は遅い。

子供の頃は頻繁にこの夢を見た。
目覚めてそして、
「夢か〜。よかった〜〜。」
すごくうれしくなり、枕をかかえてまた眠るんだ。
その目を閉じるときの嬉しさ、安心感っていったら!

最近は見ない。
もう半年くらいになるだろうか。
幼い頃から同じ夢をみているということが、
心理学的にどうこう・・なんていうことを知りたいわけではない。
これもまた相棒。

明日から12月。
また一年最後の月がやってきた。
一年を振り返り思うこと。
生きててよかった。
家族が無事でよかった。
それが嬉しい。

このブログも続けてきて良かったと思う。
最近は自分の日記のようになってきているので、そろそろ方向転換をしなければと考えている。
「自分ごときがネットの世界になんの情報提供ができるものか」という考えは今も変わらない。
広大なネットの世界の隅っこで、ちいさなちいさな陣地を作り、そのなかで細々と。
そんな風にして、ネットの世界で生きていければいいなと思っている。

明日から12月。
一年最後の月を、私も走ってみようか。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-30 21:28 | 雑感 | Comments(0)

中山ラビの魅力

♪人は少しずつ変わる
♪これはたしかでしょう
♪あたしを育てた季節が変わるように
♪春には芽がふいて
♪夏はこんもり緑濃く
♪秋は枯葉舞い
♪冬は化石のよう
♪そして
♪あなたの心も変わったね
♪石のように冷たいのです

♪人は少しずつ変わる
♪これはたしかでしょう
♪二人が建てた家が変わるように
♪きしむ畳の裏表
♪にぎやかな茶の間
♪つぎはぎの窓ガラス
♪雨漏りのトタン屋根
♪そして
♪あなたの心も変わったね
♪訪れる人も途絶えたのです

♪人は少しずつ変わる
♪これはたしかでしょう
♪月映す川が変わるように
♪道端に水が湧き
♪岩を回って流れ
♪よどみは泡立ち
♪日照りの河原
♪そして
♪あなたの心も変わったね
♪涙も枯れてしまったのです


♪人は少しずつ変わる
♪これはたしかでしょう
♪ひとつの時代が
♪やがて過ぎるように
♪取り残しの年齢
♪時告げる一番鶏
♪一夜の夢醒めやらず
♪うかつな十年一昔
♪そしてあなたの心も変わったね
♪偲ぶ面影色あせたのです

  「人は少しずつ変わる」
           中山ラビ

これまで聴いてきた多くの曲の中で
この曲はたぶん、
初めて聴いた時の衝撃や、ひきずった思い入れが
一番多い曲ではないかと思われる。



中山ラビ
この人のことを知る人は少ないけれど、
この人の曲と出会ってよかった。
そう思える素晴しい曲を書く人です。

「ひらひら」
このアルバムをぜひ聴いてもらいたい。

「川にそって」
この川は、私にとっては山科川であり、鴨川であり。

「夢のドライブ」を聴いた時の衝撃って言ったら。
高島屋。比叡山。買い物カゴ。

今も手放せない、貴重なLP。
CDもあるけど、LPのほうが音が良く聴こえる。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-28 22:05 | 音楽 | Comments(0)

イングロリアス・バスターズ

タランティーノ監督のイングロリアスバスターズを見てきた。

どこにでも書かれてて、辟易している人も多いだろうから、
ストーリーとかは書かないことにする。ネタバレにも注意します。

面白かったです。
思わず目を背けてしまうシーンが二つ三つあったけど(私は血が苦手)上々の映画。
観客を楽しませることが上手なタランティーノ監督。
今回もたっぷり楽しませてもらいました。

オープニングの山の上で、干したシーツの向こうからナチのサイドカーが現れるところや、
見渡す限りの山岳風景の中にポツンとある手こぎポンプの映像。
このオープニングだけでもう、私はこの映画にのめり込む心の準備が整いました。

一番おかしかったのは、ブラッドピットが初めてスクリーンに登場するシーン。
アルド・レイン中尉が、バスターズにハッパをかけてるのだが、
その英語がアメリカなまりで、さらにコテコテの南部なまり。
一生懸命しゃべってる中尉の姿と、そのなまりの対比がおかしくておかしくて。
このシーンで笑ってたのは私一人だったが、他の人は面白くなかったのだろうか。

クライマックスの映画館のシーンには、いろんな仕掛けが詰まっていた。
ラストシーンのレイン中尉のセリフも笑えた。
とにかくお金を払っても損した気分にならない映画でした。


それはそれとして。
上映会場に入って驚いたのは、観客の少なさ。
席数220のところに、観客総数20余人!
な、なんだこれは。
“あの”タランティーノの映画にこれだけしか集まらないのか。

今日、ふと思いついて、上映スケジュールを確認したのだけれど、
この映画の上映会場が、220席の会場から、100席の会場に変更されていた。
いまだに上映している「剣岳 点の記」の会場より小さい。

なんたること。。。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-27 17:43 | 映画・ドラマ | Comments(0)

日の出

早朝、犬といっしょに散歩に出かける。
最近は日の出の時刻が遅くなり、散歩の途中でそれを見ることが多くなった。
山の稜線から少しずつ姿を現す太陽を迎えるのはやっぱり清々しい気分になる。

今朝の日の出のとき、iPodから「花と空に」がたまたま流れてた。
やっぱりいい曲だ、この曲は。

夕日を見て、涙することがあったり、感傷的な気分になる人は多いと思う。
ああ、自然ってすごい!と思うこともあるだろう。

日の出からは、元気がもらえる。
これは夕日にはないものだと思う。
太陽の光が、ビルのてっぺんから窓枠、ひさし、道路と少しずつ降りてきて、
あたり一面を明るいオレンジ色から白い色に変えて包んでいく。

そのひとときがとても素敵に思えて。

太陽に、手を合わせたくなるのは、こういうときだね。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-26 09:09 | 雑感 | Comments(0)

行く末

戦後民主主義教育

Googleで検索すると、この言葉についての様々な意見を読むことが出来る。
戦後民主主義教育とはなんぞや・・・
戦後民主主義教育の是非や如何・・・という話になると、
我も我もと身を乗り出し、口角泡を飛ばして持論を展開する方々が大勢集まってくることだろう。

別にそういう議論をしたいわけではない。>多少はあるにしても
民主主義教育について云々・・と、能書きを垂れることができるほどの勉強をしてきたわけでもないから、
偉そうなことはもちろん言えない。

ただ、最近の世相をみるにつけ、どうしてこんなことになってしまったんだろうと考える。
その疑問を解くためには、“教育”の問題を避けて通ることが出来ない気がするのだ。

教育は、すぐに結果が出るものではない。
30年50年という長い期間を経てようやくそれがもたらしたなにがしかの結果を見ることが出来るものだと思う。


戦後64年。
戦後民主主義教育によってもたらされた“なにがしかの結果”が現代の世相と考えて差し支えないのではなかろうか。

詰め込み教育への反省からゆとり教育への転換
平等、差別への忌避感から競争の廃止(運動会の手つなぎゴール、記録会の中止)
個人の尊重を重んじるあまり、集団の一員(クラスとか会社とかの自らが所属する組織または共通項をもって集まった一時的な集団)として守るべきルールを教えないもしくは強制しない。
自分一人のときには許さる行為と、集団の一員としては許されない行為との区別教えないもしくは強制しない。
歴史の否定。 1945年以前に日本という国がやってきたこと“すべて”が悪かった。
日本という国の否定。国歌を歌わない。国旗を仰がない。歌わそうとしない。仰がそうとしない。

先ほども述べたように、私はこの「戦後民主主義教育の是非」について、
明確な論拠と資料とを後ろ盾として議論することが出来るほど関わってきたわけではない。
 #そのことを私の意見に反対意見を述べる人たちに対しての言い訳にするつもりはもちろんない#
ただこれまでこのブログで、特に「それでいいのか日本人」というカテゴリで、再三再四書いてきたようなことから、これからの日本はどうなるんだろうという危惧をどうしても捨てきれないのだ。

なぜ、自らの国の言葉を満足に学ばぬ先から、他国の言葉を学ばせる必要があるのか。
戦争の勝者から与えられた価値観によって、先人たちが積み上げてきた歴史を否定し、自然風土が育んできた習慣、儀礼を捨てなければいけないのか。
この国を表す国歌や国旗に敬意を示さない人たちは、自分が暮らすその土地は、なんという国の中にあるのか、自分が世界の中でなんと呼ばれている国に所属しているのかを考えたことがないのだろうか。
自分が生まれ育った国を表すものを否定するのなら、他の国へ行くべきだと思うし、無人島にでもくらしてみてはいかがとさえ思う。
もっと他の歌を。もっと他の旗を。
これも確かにひとつの意見にはちがいない。
しかし、その意見がまとまり、ひとつのカタチとなり、新しい歌、新しい旗が定まるまでは、
今の君が代、日の丸が日本の国歌であり、国旗なのだ。

昨日の「越し方」で述べた現代の風潮(といっても、ごく一面的なものでしかないが)を“是”となす方にとって、戦後民主主義教育は間違っていなかったということになるのだろう。
だが、私は断じて“是”とは言えない。
ではどうしてそうなってしまったのか。
それは「戦後民主主義教育には問題があったからだ」と言いたいのだ。


笑っちゃうくらい単純ですか?
笑っちゃうくらい単純ですね。
でも、これが私の正直な気持ちです。
これはいわゆる「カミングアウト」と思って下さい。


これからは、自らが所属する集団の一員としてなすべきことはなにかをしっかり教え、
自らの所属する国の歴史を日本の側から見た歴史観で教え、
日本人としての誇りと自覚とを刻み込んだ上で、他の国の人々と交わりを深めるようにしなければいけない。

私は昔、君が代を歌わなかった。(意図的に)
私は昔、昭和天皇が嫌いだった。(天下の極悪人とさえ思っていた)
けれど今は違う。
いずれも、嫌いではない。好きとは言い切れないが、敬意を持っていると言うことは出来る。

私はこの国の一員として、誇りを持って生きていきたいと強く考えている。
自分は日本人なのだと言うことを、自信を持って言いたいし、
胸を張ってそう言える国であって欲しいと、強く強く願っている。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-24 19:30 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

越し方

最近がっかりすることが多い。


ちょとした気遣いで、双方が笑顔になれるはずなのに
ちょっとした“間”で、お互いが困らずにすむはずなのに
ちょっと一歩下がるだけで、相手から感謝され、自分も気持ちよくなれるはずなのに
そういう“ちょっとした”ことが通用しないようになっている気がする。


傘かしげ。
雨の日に傘をさして狭い路地を歩いているとき、同じように傘をさした人が向こうから来る。
すれ違うとき、お互いの傘を外側に傾け、そして何事もなかったように別々の方向へ歩いて行く。
「江戸しぐさ」と言われるなかのひとつだそうだ。

なにをいまさら。
はじめて「江戸しぐさ」を取り上げた本を読んだとき、そう思った。
「そんなこと、本にするほどのものなのか。
『朝起きたら顔を洗いましょう』って書くのと同じじゃないか」と。

違ったのだ。
そういうことを、知らしめる努力をしなければ、伝わっていかない世の中になりつつあるのだ。


映画館で響く携帯の呼び出し音。
レストランの店内で携帯電話を相手に声高に話をしている客。
結婚式の進行中、いつまでも泣き止まない子供を抱いたまま平然としている母親。
駅のホーム、自由席の列で繰り広げられる醜い先陣争い。
講演会で静かにしない聴衆。
国歌斉唱のときに、ガムをかむ代表選手。


親や、近所のおじさんおばさんから教わってきたもの。
友だちや親戚のおじさんおばさんから教わってきたもの。
現代に生きる人々の心の中に、それはどんどん少なくなっていっているのだろう。

そういう社会で育った子供が、大人になり、自らが親や近所のおじさんおばさんになったとき、
子供に教えられるものをそれほどは持たないから、子供たちに教ることも少なくなり、
そうして育った子供はさらに教えられるものが減り、さらにその子供は・・・


この循環が「江戸しぐさの紹介」につながっているのではないだろうか。


家族は、社会を構成する最小の単位だと思う。
「いや、最小の単位は個人だ」という意見もあるだろうが、私はそうは思わない。
家族は社会の縮図だ。
上下関係があり、対等があり、
尊敬、嫉妬、反発、怒り、優しさ、忍耐、譲歩、そして逆転。
あらゆる感情がその小さな“社会”の中に渦巻いている。

一つの灯りの下で、一つの炎を囲んで、家族が集まっていた時代、それは今は昔。
家族はそれぞれの部屋を持ち、外の世界へのそれぞれの窓を持つようになった。
ほんの15年から20年くらい前まで、子供同士が電話で連絡をとろうとすれば、
親という“ファイヤーウォール”を、なんとかして越えなければいけなかった。
父や母は、息子や娘あてにかかってくる電話をヒントに、子供たちの友人の名を覚え、
その電話のかけ方から、どういう家庭に育っているのかをおぼろげながら把握することが出来た。
そして必要と思えば、子供に対してその友人に対する意見をし、より多くの情報を集めるために詮索をもした。

しかし、今やその“ファイヤーウォール”は消滅してしまった。
携帯という“科学兵器”の登場によって。
多くの子供たちは、ファイヤーウォールを越える努力をしなくてよくなったから、10代前半で敬語やマナーを学ぶ必要がなくなった。
今の日本のどこに、夜9時過ぎに相手の自宅に電話をかけ、
「夜分遅くに申し訳ありません。△△と申しますが、○○さんいらっしゃいますでしょうか」
などという“定型句”を使っている若者がいるだろうか。

自分の部屋に入ってしまえば、自分だけの世界。
その中で裸で過ごそうが、なにをしようが自分の思うまま。
夕食後のテレビ番組を見ながら家族で語らい、その中でお互いの暮らしぶりをそれとなくやりとりをする。
そんな家族団らんは、今も日本のあちこちに残っているのだろうか。

親が子供を知らない。
子供が親を知らない。
家族がお互いを知らない。

もし、
そんな関係でさえなければ、
防げた自殺や、防げた悲しい事件もあったかもしれない。
そう思うのは、あまりにも短絡で楽観的だろうか。


手塚治虫が描いた夢の未来世界はやってはこない。
科学が、文明が発達しすぎることは、バラ色の世界を必ずしも作りはしない。


そんな気が、今はしている。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-23 18:14 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

究明

「生きている意味」
「生まれてきた理由」
そんなことを考えていた時期もあった。

今ならちゃんと答えることが出来る。
「生きている意味」
「生まれてきた理由」
次の世代につなぐため。

何をつなぐか。
何を伝えるか。

己が命の絶えたあと、
子供たちの心の中に何を残すか。
子供たちは、さらにその次の世代に何を残すか。

考えてみたらあたりまえのことなのに、
あたりまえに気づくまで長い時間を要してしまった。

父が、その父から伝えられたことを、
私に残してくれたものはなんだろうか。
私はその中から、なにを娘たちに残してやることが出来るだろうか。

命をつなぐことの大切さ。
命を残すことの大切さ。

鳥も、魚も、獣も。
その命を伝えるために生きている。
「なぜ生きているの」
「なんのために生まれてきたの」

生きて、一生懸命生きて、会得したものをバトンにして次に渡す。

近ごろ、わかってきたことがある。
家族の寝顔を見ているときが一番幸せなんだということに。

父もきっとそうであったにちがいない。
祖父もきっとそうであったにちがいない。
私がそうであるように、
娘たちもきっとそう気づいてくれるに違いない。

生きてるだけでまるもうけ。
生きていることのありがたさ。
生きていること嬉しさ。

悩みとか、
つらさとか、
そんなものはなんでもないのかもしれない。
親から受けたバトンを子に渡す。
それだけのために生きていてもいいんじゃないかい?

たとえ子が出来なかったにしても、
自分が生きていることで、誰かに影響を与え、誰かに伝えることになる。
そう思って生きていたも、いいんじゃないかい?

命のリングはひとつひとつつながっていく。
たくさんのリングのひとつ。
親から受け継いだことを子供に。
たったそれだけ?
いや。
リングがちぎれたらそれでおしまい。
前と後ろにつないでいるからこそ、リングは続く。

ニョーボと、娘たちはぐっすり寝ている。
その寝顔を見て私は、父が生きてきた道を思い、娘たちが生きていく道を思う。
そして、彼女らの髪をなでて、少し微笑む。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-20 22:41 | 思い出 | Comments(0)

冬将軍

いよいよ・・・冬だ。
遠くて高い立山連峰は、とっくに冠雪していたが、
近くの山も、雪化粧を始め、雪がだんだん里に近づいてきた。

寒さでいえば京都のほうがよっぽど寒い。
カミソリで切られるような風は、ここでは吹かないし、
マフラーをぐるぐる巻きにして道を歩くこともそれほどはない。

ただ、
北陸の冬は暗い。

灰色の空。
灰色の海。
灰色の街。

雪国に暮らす人は、忍耐強いと良く言われる。
その意味がここで暮らすとよくわかる。
雪が積もると、なにもできないのだ。
雪と戦わないと、暮らせないのだ。
雪は、そこで暮らす人のことなどおかまいなしに降ってくるのだ。

日本庭園にうっすらとかかる雪。
神社の鳥居に積もる雪。
椿の赤と雪の白。その対比の美しさ。
そんな“美的”な雪など、北陸には存在しない。

重くて、
やっかいで、
めんどくさくて、
汚い。
そんな雪が、今日も明日も、そしてたぶん明後日も降る。

人の都合などお構いなし。
朝目が覚めて、カーテンを開けると雪。
京都にいた頃、そこで思うことは「雪だるまがつくれるかな?」だった。

が、
この土地では、
「また雪かきか〜 」
北陸では、雪はアイドルではない。

今年もまた冬が来る。

寒くて暗い冬が来る。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-19 20:26 | 雑感 | Comments(0)

こんなに雨が降る日には

♪国道沿いの 二階の部屋では
♪目覚めるときに 天気がわかる
♪今日は雨 アスファルトに流れる雨を
♪大きな車が 轢いて走る
♪一人のベッドで 眠り目覚めた
♪僕の寂しさも 轢いて走る今日は雨
♪昨日ほどおまえのことを 憎んだ夜はない

南こうせつ 『今日は雨』


今日もあめあめ明日もあめ。
ほんにおまえは駄菓子屋のような   字余り


『今日は雨』は大阪の三畳一間の下宿で聴いていた曲。
京都を離れ大阪で一人暮らしをはじめ、
二食付きの住み込みアルバイトをしながら学校に通っていた。
天王寺公園、天王寺動物園のすぐそばで交通量は多かった。
だからこの歌に出てくる
“アスファルトに流れる雨を大きな車が轢いて走る”音は窓のむこうからいつも聞こえていた。

雨の日のジャンジャン横丁は、いつもしびれるような殺気に包まれていた。
あちこちで諍いが起こり、頭から血を流して倒れている人の横を、平然ととおりすぎていくおじさんたち。
カップ酒をあおりながら、すれ違う女をからかっていたおじさんたち。
のれんの向こうで串かつをほおばっていたおじさんたち。
私なんかは彼らの目にはきっと映っていなかったに違いない。
私の存在など、彼らの頭の中にかけらもなかったにちがいない。
私がその場にそぐわない若造であればこそ目こぼしをしてくれたに違いない。
そんなこともわからずに、大人になった気分になってあの横丁を歩いていたんだね。
笑ってしまう。

雨の日に、おじさんたちは暇をもてあましていた。
酒を飲むか、串かつを食べるか、公園のベンチにねそべっているか。
時が過ぎるのを、じっとおじさんたちは待っていた。
明日が来るまで。
雨が上がるまで。


雨は、いつやむのだろうか。


   gonbe
by starforestspring | 2009-11-17 19:28 | 思い出 | Comments(1)

Cyberdogの冒険

Cyberdogの冒険 新居雅行

今日久しぶりにパソコンショップに行った。
新しいiMac27インチが展示されていた。
そのディスプレイの美しいこと!

#これからパソコンを買おうという人、
#そろそろ次のパソコンが欲しいなあという人。
#ボーナスで何買おうかな?という人。
#悪いことは言いません、これを買うべきです。
#16万ちょいで買えるんですよ。信じられません。
#持っている。それ自体が嬉しいもの。
#そういう類いの“モノ”の中に、間違いなくこれは入ります。

思い返せば初めて買ったパソコンがAppleのPerforma5411
もう15年ほど前になるだろうか。
まだ電話回線でモデムをつないでいた頃で、
接続を始めると「ピーッガーッ」とけたたましい音を出していた頃だ。
もちろんマシンは当時の私にとっては結構高価で、それこそ“清水の舞台から飛び降りる”ような覚悟で購入した覚えがある。
パソコンはまだまだ普及をはじめたばかりで、
持っている人より、持っていない人のほうが圧倒的に多い時代。
メールアドレスを持ってはいても、メールを送る相手がいない時代。
5411が我家の一員となってしばらく、キーボードのブラインドタッチの練習で、
ニョーボとふたりで“a”“i”“u”“e”“o”と、小指、中指、人さし指、薬指でひとつずつ押す。
変換するときに使うスペースキーは親指で押す。
そんな練習を毎日毎日楽しみながらやっていた。
今思えば、隔世の感がある。
15年前だもんなあ。
以来、pismo、eMac、iMacと購入を続け、今ではあれほど嫌いだったWindowsのマシンも使うようになったけれど、あの5411を使っていた頃の毎日が心躍るような楽しさは今ではもうなくなってしまった。

凝り性のせいか、関連の本は山ほど読んだと思う。
その中で、最も面白く、最も大切にしてた本がこの“Cyberdogの冒険”
OpenDocという、当時としては画期的な発想を本に著したもの。
残念ながらこの発想は“開発中止”となってしまうのだが、
それでもなお、この本が与えてくれた衝撃は大きなものだった。
目の前に、いやずっと向こうに広がる“可能性”という世界。
もしかしたら、
これからは、
これまでにはない、
そういう言葉で表現されるような世界が、近い将来おとずれる予感。
その予感に胸をときめかせていたのだ。>それは結局やってこなかったけれど。
パソコンがまだ少数派だったころにパソコンを使い始めた初心者にとっては、それがもたらしてくれるかもしれない世界を想像するだけで楽しかった。

設定からトラブル対処まで、一人でやるしかなかった。
一人でやってみて、つまづき、悩み、糸口を探り、解決したときの喜び。
あのころのPerformaは、挑戦と成功という大切なことを教えてくれた友人みたいなものだ。

この本は捨てられない。
古本屋に持っていく気にもならない大切な本。
これからもずっと書棚の片隅で眠り続けることだろう。

   gonbe
by starforestspring | 2009-11-16 23:29 | | Comments(0)


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