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原点回帰

高見山
小錦

武蔵丸

高見山、唯一の優勝の時、おかみさんに抱きついて泣いていた姿を覚えている。
ここに挙げた外国人力士たちは、土俵を離れると底抜けに陽気だった。
アロハシャツにサングラス、陽気にダンスを踊ってるシーンを見たことがあるし、
テレビのバラエティ番組にもよく出演していたように思う。
だが、ひとたび土俵にあがると、彼らは立派な“力士”として振る舞った。

強いくせに愛されなかった力士の筆頭は北の湖だろう。
いつも仏頂面、同時代に活躍していた輪島や貴ノ花(横綱貴乃花の父)に送られる“応援の歓声”に比べて、彼に送られるそれは“負けろ〜”の声だった。
しかし、彼はそういう声をバネにして、ますます強く、そしてマジメに土俵を勤め続け、逆にファンを増やしていったように思う。

当時の土俵の上で繰り広げられる力士と力士の力比べは
不快感とはまったく無縁のものだった。

大相撲の一日も早い原点回帰を願っている。
   gonbe
by starforestspring | 2009-01-31 20:37 | 時事 | Comments(0)

ヒール(悪役)なんかいらない

柔道がいまでも柔道であると信じている人はどれほどいるだろうか。
柔道は今や柔道ではない。
“Judo”である。
白一色であった柔道着が、試合のときに白と青に色分けされ、
“一本”で勝負がきまるはずの試合が効果とか技ありとかでポイント制になり、
攻撃的ではない・・・という理由で指導を受けると、対戦相手のポイントとなる。
で、たし算した合計が多い方が勝ちと。

男子の野村、女子の谷本など、
「一本以外はいらねーや!」的柔道は、今や少数派となっている。

Judoとなってしまった競技において、勝つための工夫がどのようなものであっても、
それがルールの範囲内であるならば、なんのとがめ立てができようか。
Judoが世界に広まり、競技人口が増え、
世界のどこにいってもその競技を楽しむ人がいる今となって、
柔道は日本の国技、日本こそが柔道の本家と言ったところで、あまり説得力はなさそうだ。
>発祥の地としての敬意ぐらいははらってもらえると思うが。

相撲はそうではない。
マワシをしめて、丸い土俵の上で、
ちょんまげを結った力士同士がぶつかり合い勝者敗者を決める・・・
そんなことをやっているのは日本以外にはない。

礼に始まり礼に終わる。立ち合いは両手をしっかりつける。勝って驕らず負けてくさらず。
神事として神々の前で奉納されてきた相撲という日本固有の伝統は、
今や有形無実のものと成り下がろうとしている。

今はまだ、相撲であってSumoではない。
である以上、日本古来の伝統を守り続けるべきだと主張することに、
なんの遠慮もいらないはずだ。

日本人ではない力士が増えたことをとがめるのではない。
その態度の悪さをとがめるのだ。
相手をにらむ。
勝負が決まった後の不必要な駄目押し。
決まり手にはない技をつかう。
負けた相手への侮蔑的な態度。
そういうことがいつまでもまかりとおり、だれも彼を咎めない。
人気があるから。客が呼べるから。それが理由なのか?
満員御礼の垂れ幕が下がる回数を、そんなにまでして増やしたいのか?

勝ち名乗りを受ける時には、ちゃんと“心”という文字を書け。
賞金を受け取る時にはちゃんと右手で受け取れ。
それが相撲の“決まり”だ
相撲はボクシングではない。プロレスでもない。
相手を殴りたかったら、それが許されるスポーツをすればよかろう。

朝青龍。
ヒール(悪役)として、存在すること。
なんだかんだといっても、強いこと。
そんなことに彼の存在意義を見いだそうとする者が多いようだが、とんでもないことだ。
彼を認めるなら、相撲をSumoとすればいいのだ。
先場所、たまたま見た琴欧州戦。
琴欧州が土俵に手をついた時の朝青龍の左手は、
もしそこに琴欧州がいたとしたら、彼のほほを“殴って”いたにちがいない。
張り手でもなく、突っ張りでもない、“殴って”いたにちがいない。

相撲としてあり続けている間は、伝統は守らなければならない。
それに反するものは排除しなければならない。
ただし、もし相撲がSumoと変わってしまった場合、
先に述べたような意見はすべて撤回させていただく。

そしてたぶん、もう二度と見ない。

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-30 22:14 | 時事 | Comments(1)

北の国から

昨日、久しぶりに「北の国から 時代」を観た。
純や五郎、蛍や金ちゃん、みんな若い!
録画には当時のCMも入ってる。
今も活躍してる人、いつのまにか消えてしまった人。
本編だけでなく、こちらのほうも感慨深かった。

純や蛍、草太にいちゃん、中畑のおじさん、シンジュク、れいちゃん、正吉・・
たくさんの人が登場するけど、やっぱり主役は五郎さん。
なんでもかんでも自分で作ってしまう。
この人は本当に、すごい。

このドラマには、あちこちに含蓄の深いセリフがちりばめられている。
今観ても、充分鑑賞に堪えるのは、そういうところにも理由があるのだろう。

時の流れに色あせない名作「北の国から」
見のがした方は今からでも遅くはありません。
レンタルで全部見ることが出来ます。
ぜひどうぞ。

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-29 22:48 | 映画・ドラマ | Comments(0)

それでいいのか?日本人。  6. 国旗国歌

公私の公、公私の私。
公は自分以外の全体を優先。
私は自分の都合が優先。
こう教えてもらった。

国旗と国歌について、考える。
意見百出・・・は間違いないところ。
正直言って、この話題をブログに乗せることには多少のためらいがある。
がしかし、あえて述べてみる。


それが法で定められている以上、
日の丸は国旗であり、君が代は国歌である。
これに異論を唱えるなら、現在法律として定められている「国旗国歌法」を所定の手続きを経て廃止にすればよい。
法に定められていること、それ自体を否定するのであれば、
それは自らが所属する集団“国”そのものを否定することになるわけであるから、
その“国”から受けている“国民としての権利”“国民としての利益”はすべて返上すべきであろう。
かみ砕いた言いかたを許してもらえるならば、
『町内会で燃えるゴミを出すのは月曜日と決まっているけど、自分は納得いかないから火曜日に出します』と、言ってるのと同義では?
それを許していたら、
「じゃ、私は水曜日に出します」
「じゃ、私は金曜日に」
と言いだす人が必ず出てくる。
それを咎めたら彼らは言うのだろう。
「思想及び良心の自由を保障した憲法19条に違反する。憲法違反だ!いつゴミを出そうと、それは憲法19条によって保障されている!」

・・・それでは、“集団”は維持出来まい?
どっか無人島にでも行かれたらどうですかとお勧めしたいぐらいのものだ。



国を表す国旗、国を表す国歌に敬意を払わない、
それ自体を信条となさるのは自由だ。それは理解出来る。
さまざまな考え方が混在すること、それは集団(国)を健全な状態に保つためにも必要なものだ。
  #それが出来ない国の窮屈さは新聞やテレビ報道などでいくつも見ている#

が、
その信条はあくまで“私”のものであって、“公”のものではない。
“私”の部分でどれほど自己の信ずるところを述べられても構わないが、
“公”の部分でそれを主張するのはお門違いというものだ。

公立学校の入学式、卒業式で日の丸に敬意を払わない、君が代を歌わないのなら、その場を去ればよろしい。
もしくは、その場に現れなければよろしい。
公立の学校は、国もしくは県、もしくは市など、国家の一組織を担う自治体が建設したものである。
その学校の行事は当然国によって定められた“法”によって運営されてしかるべきだし、それを否定することに根拠はない。
もしあるとするなら、個人の“思想”“感情”だろう。しかし、“私”は“公”の前では引っ込むしかない。
“私”が“公”に優先するのなら、人はその思想により、また自らが信ずるものに従って、人を傷つけても構わないし、他人の財産を奪っても構わない、そういうことになる。
“私”は無数にあってよい。ただ、“私”は“公”の前では少なからず制限を受けることを甘んじて受けなければならない。

あくまで“思想”を主張なさるのなら、ご自分で学校を作られればよろしい。
そこでなにをしようが、好きな演歌を校歌としようが、好きな図柄の校章をつくろうが、その学校を作った個人の自由である。
だが、公立の学校の“公”の行事で「私は国旗国歌に敬意を払いません」という行動をなさるのはやめていただきたい。
それは、自分の生徒たちに、「守りたくない決まりがあるのなら、守らなくたってかまわないよ。集団の規律なんて、個人の信念の前では無視したって構わないんだよ」と身をもって教えているようなものではないか?
それで成人式の挨拶中に大きな声で私語を交わす新成人や、
歩行者天国を走り回る暴走車に対して、「君の行為はいけないことだからやめなさい」と、説得出来るのか?

たとえば、
オリンピック、世界選手権、ワールドカップなど、
国という組織同士で勝敗を競う場において、単位となるのは“国”であって、“個人”ではない。
体操の個人競技で、あるいは陸上競技個人種目で、他の多くの“個人”に勝ったからといって、“国”の代表として出てきている以上、それは“国”の勝利なのだ。
 #個人の努力を否定するものではもちろんない。
だからこそ国旗が掲揚されるし、国歌が演奏される。
勝利者であるその個人を育てた“国”に対し、またその個人が所属する“国”に対して敬意を払うからこそ、観客は起立してその国歌を静聴するし、国旗を仰ぎ見るのだ。
そこで、「違う!勝ったのは国じゃない。私個人だ!国旗も国歌もやめてくれ!自分だけを称賛してくれ!」と叫ぶつもりなら、最初からそういう場所に出てこなければよい。
そして、たとえば陸上競技なら、誰も見ていない場所で同日同時刻に「よーいドン」で走りだし、彼方の地で行われている競技に参加している人たちとの優劣を競えばいいのだ。
勝ったなら自分一人で喜べばいいし、負けたなら自分一人で悔しがればいい。
その場で誰も国旗国歌の掲揚、斉唱を求めもしない。歌いたければ自分を讃える自作の歌でも歌えばいいのだ。誰も止めはしないし、それを止める権利は誰にもない。


最近特に思う。
たとえばサッカーの公式試合。
試合前の儀式では必ず国歌の斉唱があり、観客には起立が求められる。
そこで信念に反するからといって起立しない観客がいるのは構わない。
だが、競技場にいる“代表選手”たちは国旗に敬意を表すべきだし、国歌をちゃんと歌うべきだろう。
なにしろその胸にある紋章はその国のサッカー協会を象徴するものなのだから。
「いやー、君が代は歌いたくないですね」と言うなら、代表選手として指名されても断ればよい。
「代表になったら君が代を歌わなければならないし日の丸を仰がなければならない。それは自分の信ずるところに反しますのでせっかくですがお断りします」と。
そしたら、私は大きな拍手で彼を讃えるだろう。
それが私の信条と違ってはいても、信念と行動とを一致させる彼の行動に敬意を表するだろう。

競技場で国歌を歌わない選手に、国を代表している・・・などと言わせてはいけない。
たとえ自らの信条と違っていたとしても、自分の意志でそこに立っている以上、歌わなければいけない。
それこそが責任ある行動、言行一致というものだろう。

国旗は国を象徴するものだ。
その国旗に対して侮蔑の態度、破ったり燃やしたりすることは、その国旗が表す国家、すなわち国民全てに対する侮辱なのだ。
その国の国歌が斉唱されている時に、罵声や騒音でその斉唱を妨害することは、その国歌が表す国に対しての侮辱なのだ。
この国の国民にはそれらの行為を咎める覇気も信念も勇気もなくなってしまったのか?
戦後民主主義教育とやらで、すっかり骨抜きにされてしまったのか?

そのような侮辱に対して、寛容な態度を示す必要などない。
やられたらやり返せ。
向こうが我々が所属する集団“国”に対して、当然払うべき敬意を表さないのなら、こちらもそうすればよい。
経済的に援助をしているなら、やめるべきだ。
向こうだって侮辱している国から金をもらうことなど求めてもいないだろう。
もし、「いや、それとこれとは別。いただけるものなら何でもいただきます」というなら、
「おたくの国の辞書には“恥”という言葉はないのですか?」ぐらいのセリフを吐いたってバチはあたらない。
そのような仕打ちを受けてなお、怒るでもなく、無視するのでもない、あいまいな態度しか見せないから国家として軽んじられるのだ。

国旗国歌は国を象徴するものだが、忘れてはいけないことがある。
国民は国旗国歌に対して責任を持たなければならない。
その国旗に象徴される国というものが、その国歌に象徴される国民というものが、
どの道に進もうとしているのか、見守り続ける義務がある。
象徴は対象物があって初めて象徴足り得る。
対象物あっての象徴であり、象徴あっての対象物ではない。
ではそれを守るために必要なものはなにか。
自分を取り巻く人々、自分を取り巻く環境、自分を取り巻く組織・集団、
そういうものに対する愛情と誇りと責任ではないだろうか。
育てられるのではない。育てられ、育てるのだ。
自分を。自分を取り巻く環境を。
自分の手で。

国家としての誇り、国民としての誇り。
“私”があり、“公”がある。
“公”があり、“私”がある。
それを忘れた国と国民に、未来は絶対にない。

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-28 00:25 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

それでいいのか?日本人。  5. 公序良俗

昔、バスや電車に乗ると、乗降口に近いところに必ず“優先席”があった。
>今でもある?
素直な青少年であったgonbeは、その席に誰も座ってなくても、その席の前の吊り革につかまり、揺られていたものだ。

ある日ある人がこんなことを言った。
「優先・・というのは、“他のものより先に扱うこと”。つまり複数のものが存在しない限り起きえない事象であるから、周りに誰もいなければ、優先席に座っていても構わない。優先すべき人が現れたら、そこで席を譲ればいい。満員でぎゅうぎゅう詰めの時に、そこだけエアポケットみたいにポツンと空いているのは不自然。座ればいいんだ。その分立ってる人の窮屈度は下がるんだから」
・・・・
・・・・
考えましたよ。しばらく。
辞書で引いてみると確かに“優先”の意はその人が言う通り。
してみると、これは正論か?
いや、たぶん正論なのだろう。

実はその話を聞くまで、優先席に座っている“元気そうな”人に冷たい視線を送っていた。
なるほど、あれは間違いだったのか・・と、反省する反面、
いや、そんなことはない。武士は食わねど高楊枝。
空いていても座らないのが男の美学だ。
・・・などと。

スーパーの駐車場で、出入り口に近いところに車いすマークがペイントしてあるところが多い。
あのペイントはつまり、そのままの意味で“体の不自由な人専用”のはず。
“専用”であって“優先”ではないよね。
たとえ“優先”であっても、ドライバーは店内に入ってるのだから、そのスペースに停めに来た体の不自由な人が来ても、「すぐに空けます!」と、車を移動することは不可能。
そういう意味でも、あのスペースを“優先”と解釈するのは、間違い。

たまたまなのか、圧倒的にそういう人が増えたのか、
あのスペースに車を停める“元気そうな”人を見ることが多い。
その近くに立っていて、出てきた人がスタスタと店内に入るのを“軽蔑の視線”で見つめるのだけど、本人には全然届いてないみたいだ。

空いているスペースが、出入り口から100mも200mも離れているわけではなし、
離れてるところから歩くのがイヤさに、車いすマークに停めますか?
冷たい軽蔑の視線を浴びながら。
そこまでして、近いところに停めたいですか?
・・・・・
まさか、あなた、
ウォーキングをなさってはいないでしょうね?

公序良俗の精神。
日本人よ、この精神を忘れてしまって、
いいのか?

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-27 20:01 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

太陽と月。
その対比はいろいろなところで目にすることが出来る。

自ら輝く太陽。
受けた光を反射する月。
動かない太陽。
規則正しく、親星の周りを回り続ける月。
直視できない太陽
じっと見つめ続けることが出来る月。
四季を通じて、変化に乏しい太陽。
四季折々に姿を変える月。
和歌に詠まれにくい太陽。
和歌に詠まれやすい月

引っ越ししてきた最初の夜。
二階の窓から見えた秋の夜空に凛として輝く月の姿は今も忘れない。

もう一人子供が生まれたら、月から名前をもらうことにしよう。

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-26 22:30 | 雑感 | Comments(0)

てくてくててく

最近、一所懸命歩いている人をよく見かけるようになった。
両手を大きく振り、まっすぐ前を向いて、少し速足で歩いておられる。
時には一人で。時には二人で。
三人以上のグループを見たことはない。

ウォーキング。
つまり、これです。
ジョギングブームの次に来たのがウォーキングブーム。
いや、もうブームというような一時的なものではなく、
すっかり日々の生活に定着してしまっているような気がします。

ウォーキング。
散歩とは、違うんですよね?
健康のための“有酸素運動”だそうです。
社団法人 日本ウオーキング協会・・・というものまであります>今日知った。
“ウォーキング”で検索したら、いろんなサイトが出てきます。
どのサイトも、自信満々で胸を張ってるような印象を受けました。

叱られるのを覚悟で告白しますが、
私はウォーキングという行為がどうしても好きになれません。
いや、これでも正直ではないですね。
はっきり言います。

キライです。

なぜに、そんなに一生懸命歩くの?
なぜに、そんなに気張って歩くの?
のんびり歩けばいいじゃないですか。
道端に咲いてる花や、樹の上に止まっている鳥や、空を流れていく雲や、
そういうものをいい加減に見ながらのんびり歩けばいいじゃないですか。
目的の場所に移動する。ぶらぶら歩く。
ただそれだけの行為じゃダメですか?

健康が気になるのなら、
走ったり、泳いだり、自転車をこいだり、トレーニングマシンを使ったり、
そういう方向に行ってもらうわけにはいきませんか?

電車は速くなりました。
住民票や戸籍抄本も機械でとれるようになりました。
高速道路の料金授受、1分に満たない時間を惜しがって、ETCというシステムが出来ました。

だからこそ歩くという行為は、
自然な、動機づけなんかいらない、意識なんかする必要のない、
“あたりまえの”行為でいいんじゃないですか?
のんびりのんびり、てくてくててく・・・と歩けばいいじゃないですか。

道端の花に微笑み、青い空を見上げて深呼吸をし、
つながれている犬に話しかけ、すれ違う人と挨拶を交わし、立ち止まって少し言葉を交わす、

そんなふうに歩いてみませんか?


・・・・・・と思う、gonbeであります。

前からずっと言いたかったこと。
今日言ってすっきりしました。

すみません。
こんなやつです。

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-25 20:17 | 雑感 | Comments(0)

それでいいのか?日本人   4. 東京裁判

東京裁判

A級戦犯    BC級戦犯

人道に対する罪

平和に対する罪

共同謀議

デスバイハンギング

映画「東京裁判」を観たのは高校生の頃。
朝日新聞東京裁判記者団著 講談社刊の「東京裁判」を読んだのはその後。
観て、読んで、出てきたものは無数の「なぜ?」

勝者による敗者への裁判。
そこから“公正な判決”が出るものなのか?

戦争を主導した、開戦の道を開いた。
それが罪となるのなら、その根拠となる“法”が存在するはず。
ではその“法”はどこに?

戦争を遂行したことで多くの兵士の命を奪った。
捕虜に対する残虐な行為を実行、指示した。
それが罪というのなら、それもよかろう。
であれば、
ヒロシマ  ナガサキに原爆を落とし、
非戦闘員である市民の命を奪った者の罪は指弾されないのか?
中立条約を一方的に破棄して宣戦布告を行い、
逃げ遅れた将兵をそのまま捕虜として拘留し、
労働力として酷使した上に、多くの命を奪った者の罪は指弾されないのか?

去年の8月6日
原爆忌でこの心情の一端をこのブログで述べさせてもらった。
一時の感情ではない、
東京裁判を初めて観て以来、この感情は今にいたるも心の奥にずっとくすぶっている。

戦争は悲惨だ
戦争をしてはいけない
人と人とが命を奪いあうのは愚かな行為だ。

もちろんそうだと思う。

しかし
生き延びる道を模索する中で選択した道を
結果が出た後、批判するのはありなのか?
たとえば、あの戦争で日本が米国に勝っていたら?
もしくは停戦合意がなされて、石油の輸入が再開されていたら?
東条英機首相は英雄としてまつりあげられていたに違いない。

しかし負けた。
そして東条首相は絞首刑となった。

それって、後だしジャンケンに似てないか?

繰り返して言う。
戦争は避けなければならない。
人が人の命を奪ってはいけない。

かつてこの国で多くの国を相手にした戦争を遂行していた時期があった。
では問う。
その戦争はなにを守るために行われたのだ?

日本の歴史は日本人の手によって振り返られるべきだ。
他の国からの糾弾や、価値観によって検証されるべきものではないはずだ。
ここはアメリカでも中国でも韓国でもない。
日本だ。

日本人が日本人であることを忘れてしまって、
いいのか?

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-24 22:54 | それでいいのか日本人 | Comments(0)

三太郎の日記

途中でやめて気持ちの悪いもの。

くしゃみ
映画
読書

これまで購入してきた本は、ほぼ全部読了しているが、
唯一読み終えていない本がある。

“三太郎の日記”

高校の現代国語のM先生が
「この本は読まなあかん!」と勧めてくれた。
で、(当時は)素直だった高校生は、書店に走り購入。
しかし途中で挫折し、いまだにそれは書棚にあり続ける。

M先生すみません、
まだ全部読んでないんです。
高校生の自分には敷居が高かったのかもしれません。
いや、きっとそうです。
昭和の高校生と大正の青年とでは思索の深さが比べ物にならなかったのです。

今なら、読めるかもしれません。
いや、きっと読めます。
でも、
今読んでる本、読む予定の本、読みたい本が“前にならえ”をして並んでるんです。

そのあとでもいいですか?



去年、新版が出た。
新版 合本 三太郎の日記 (角川選書) (単行本)

この緑の表紙は、少しだけ、色あせてしまった。
久しぶりに開いてみる。
懐かしい匂い。
小さい文字。
固い文章。

必ず読む。

いいつけは守らなければ。
弟子として。

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-23 21:39 | | Comments(0)

それでいいのか?日本人   3. 食料

「食について」という表題で3日間投稿をした。

人間、食べられさえすれば、とりあえず“生きる”ことは出来る。
食料の確保。
それは本来、政府がなによりも最初に考えるべきことではないだろうか。

「食について」では結局悲観的な結論を提示することをしなかったが、
もし今、日本以外の国が日本に対して食料の輸出をやめてしまったら、
日本人の6割は必要なカロリーを摂取することができない・・という事実に変わりはない。

我が身を振り返ってみる。
毎日毎日食べるものを近所のスーパーに買いに行く。
もし、スーパーが閉まってしまったら。
米を買いに行っても、お米屋さんが売ってくれなければ。
我が家は食料を確保する術を失ってしまう。

#かつてのタイ米騒動の時、近所のお米屋さんはコシヒカリを売ってくれなかった。今でも忘れない。

戦時中、お米と着物とは交換出来たそうだ。
宝石と野菜とも交換出来たそうだ。
食料を手に入れるために、食料を持たない人々(農家以外の都市生活者)は
それが等価ではないと知ってはいても、交換を“頼む”しかなかった。
食べるために。
生きるために。

「もし今、日本以外の国が日本に対して食料の輸出をやめてしまったら」
日本人の6割は飢えることになるのだ。
それで、いいのか?

   gonbe
by starforestspring | 2009-01-22 23:30 | それでいいのか日本人 | Comments(0)


タベリストgonbe     よしなしごとつづり


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