カテゴリ:思い出( 117 )

あのころボクは若かった。

テレビが壊れまして。

寝室の窓際に置いてあるんですが、その日は窓を開けてベッドの上で本を読んでたのです。
知らないうちに雨が降りはじめたらしいのですが、音に気づきませんで。
トイレに行くのに起き上がったとき、窓際あたりの水たまりを見て事態を把握。
慌てて近づいたら、テレビ台の上に水たまり。テレビの裏側にも結構かかってた様子。

その日からテレビは起動してくれなくなり。
濡れて故障したんだったら、乾いたら直るだろう。
そう思って3日ほど放置して、そろそろよかろうともう一度スイッチをいれても、やっぱり起動せず。

昨日近くの修理屋さんに持って行きました。

その修理屋さんに持ち込んで、事情を話し、預かり証ができあがるまで退屈だったので、壁にかかってる料金表を見てました。すると料金表の下に小っちゃく「修理中テレビの貸し出しを希望される方はお申し出下さい」と書いてある。

「あ、あの・・・」
「はい?」
「テレビ、貸してもらえるんですか?」
「ええ、お貸ししますよ。小さいヤツですけどね」
「助かります。貸して下さい。」
「貸しましょう!」

で、出てきたテレビがホントに小さくて。
モニターの高さが20cmくらい。
家に帰ってつけてみたら、ちゃんと映って。
「小っちゃ!」って思いながら見てるうちに、なんだか慣れてしまって。
今もついてますが、不便を感じないようになった自分が不思議。


今日の記事、なんのこっちゃ・・な方は多いと思います。いや、皆さん全員そうかもしれません。

ただ、小っちゃいテレビを見てるうちに、一人住まいをしていたころのことを、お金がなくて、ラーメン(主としてお湯をかけるだけの、手間いらずが魅力のTラーメン) ばかり食べてた頃を思いだしまして。モニター高さ20cmから現在にいたるまでのテレビの遍歴を思い出しまして。なんだかとても懐かしく。


初めてテレビ台とセットで買ったときは嬉しかったなあとか、ソニーの企業向け展示会で衝動買いしたアイツを見てたころは人生イケイケだったなあ・・とか。扇風機とか洗濯機には、なかなか思い出はついてこないんですが、なぜかテレビにはそういうのがあって。

ほろにがくも懐かしいひとときを過ごさせてもらいました・・という、本日はご報告でした。


どーもスミマセン。


gonbe5515



by starforestspring | 2017-07-16 22:25 | 思い出 | Comments(0)

実は私が野球少年だったということについて

私、今でこそサッカーの記事ばかりアツク書いてますけれど、 小学生から中学生にかけては野球少年だったのです。

野球、好きでした。見るのはもちろんですが、プレーするのもね。

好きな選手は王貞治さん。長嶋さんには魅力を感じなかった。そのくせ、チームでの守備位置は主にサードでした。自分で言ってしまうと嘘くさいですけど、打つほうも守るほうも、それなりに認められていたと自負しております。

忘れもしません、中学入学のとき。私は野球部に入りたかったのです。
が、野球部に入るにはいろいろ物いりでございまして。ユニフォーム代なんぞ、とてものことに親にねだれる金額ではございませんでした。(今なら笑って出せるのに!)自己解決してしまった私は、親の負担が一番軽くてすむだろうと思った水泳部に入ったのでした。(必要経費=水パン一枚の購入費用)

・・・思い出したくもない昔話でありますが。

そんな私が好きだったのは、江口寿史さんの「すすめ!パイレーツ」
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あれはよかった。実によかった!

千葉って、東京からみれば田舎なんですか?展開される自虐ネタ。面白かったです。当時の私は、NHKの天気予報で映る近畿地方だけが“世界”でしたので、千葉という一見都会だけれど、東京モンからすれば田舎者っていう知らなかった格差をネタにしたマンガが面白くってたまらなかった。

野球少年だった私ですが、日本のプロ野球における嘘くささに嫌気がさしたのがハタチすぎ。以来毎晩放送されるプロ野球中継は見なくなりました。愛する大洋ホエールズがセリーグの何位になったのかを気にするのは、秋風が吹いてからということに決めてました。その後、横浜ベイスターズがセリーグを制覇し、日本一になったのは1998年。その年は、我が娘たちがこの世に登場してくれた年でもありましたので、今でも1998の並びには低頭平伏してしまう私です。

すすめ!パイレーツ」は、「パタリロ!」とともに、大笑いできたマンガでした。あれはよかった。心の底から笑えた。社会・・というなんだかうさんくさいものに取り込まれそうになってしまっていた私が、いっときそういうものを“完全に”忘れることができたマンガでした。

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江口寿史さんのイラスト、今でも本屋さんで販売してるのを見かけます。それなりのお値段がしますが、ほしくてほしくてたまらない。あの方の描く女の子は魔性のコ、そして、オジサンを救う女神、なのであります。



gonbe5515





by starforestspring | 2017-07-05 19:35 | 思い出 | Comments(2)

君は柱時計のネジを巻いたことがあるか?

モノを捨てられない父と一緒に暮らしていた頃の話。

私たち家族に時を知らせる役目を担っていたのは、振り子のついてる柱時計。結構な年代物だった。どれくらい年代物かというと、時々ネジを巻かなければその時計は止まってしまうのだ。

チョウチョが羽を開いたときのような大きな真鍮のネジ。そのネジの置き場所は、時計の蓋を開けた、振り子が揺れてる下。ネジを巻くのは概ね父の仕事だったが、時々は言いつけられた兄や私が巻くこともあった。ネジを右から左に巻くと “ギィーッ、ギィーッ”と、錆びたような音がした。

この時計、振り子の揺れる“コッチン、コッチン”という音がするし、正時にはエコーをかけたような“ヴォーン、ヴォーン”という音が、1時なら1回、2時なら2回鳴る(当たり前)1時2時ならいいけど、12時なんてあなた、12回鳴るわけで。“ヴォーン、ヴォーン、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン 、ヴォーン ” 鳴り始めると、知らず知らずのうちに、その回数を数えてしまう性が妙に哀しかった。

レトロな雰囲気を好まれる方もいらっしゃいましょうが、実際家で使うと、あれはけっこうやっかいなものです。見てるぶんにはいいんですが、振り子の音、正時の音がとにかくうるさい。他のことに集中してる時は音が耳に入ってきませんが、気にしてしまうと音が耳から離れなくなる。音と音の間に、鳴ってないはずの音まで聞こえるというか・・・。私はずいぶん悩まされました。

そのせいで、家を出て、一人暮らしをするようになってからは、秒針が動く音や正時に鳴る音のない時計を使うようになりました。あの延々と続く音の中に、身を置きたくなかったのです。以来、今に至るも私の家の時計は音を発しません。


しかし・・ いつのまにか3分5分遅れてしまう。ネジを巻かずにおいとくと、正時を告げる音がだんだん間抜けな音になってしまう。下手すると鳴ってる途中で止まってしまう。そういう味わいや、装飾品として見た時の佇まい、手間がかかるからこそ生まれる愛着。そういうものは、デジタル時計や電波時計からは感じることが出来ないもののように思います。(正確な時を刻むという点において、彼らは実にまっとうな働きしていることは認めます)


私の心がもう少しのびやかになって、ゆっくり時間を過ごせるようになった時。朝の天気を確認したあとに、その日の仕事を決めるような暮らしになった時。我が家にまさかの“振り子時計登場”の日がやってくるかもしれません。なんとなれば・・・我が家の倉庫の一番奥に、新聞紙でくるんだ振り子時計が3つあるからです。父が捨てられなかったもののほとんどを平気で捨てることが出来た私ですが、あの時計たちをなぜか捨てるに忍びず。(といって、使う気にもなれなかったのでほったらかしになってたわけですが)

椅子を柱時計の下まで運び、上にのって蓋を開け、手でまさぐってネジを見つけ、左右のねじ穴に互い違いに差し込んでゆっくり回す。当たり前の日常だったあの体験が、今では不思議に懐かしく思い出されます。私もトシをとったということでしょう。

懐かしいだけで、まだ音の鳴る時計と一緒に暮らすのはまっぴらですが。


gonbe5515






by starforestspring | 2017-06-25 18:45 | 思い出 | Comments(0)

父の思い出

亡き父は長らく京都で一人住まいをしていた。しかしトシもトシだし・・ということで、私が移り住んでいた富山に引っ越すことになった。引っ越しの下見のために父の家を訪れると、とんでもない量のモノが背の高さまで積み上がっていて心底驚いたものだ。なんに使うのか一見してはわからないもの。ひとつあれば事足りるはずのものがいくつもいくつも。これ、たぶん昭和初期に作られたものですよね?というようなもの。

父はモノを捨てられない人だった。父の口癖は「なんかの役に立つときがくるやろ。」 「買うたら高いんや。」だった。

私が子どものころ、ごくたまに父は、自分の持ち物の中から息子が使えそうなものを抜き出して「gonbe!これ使えや!」と、私の前に差し出した。毛糸の帽子、コール天(=コーデュロイ)のズボン、分厚くて思いオーバー(コートではない、オーバーとしか言いようのないもの)

10代の私から見れば、それらは古くさくカビの匂いのする “時代遅れ” の代物。そんなのかぶったり履いたり着てたりしたら、友人たちから失笑を買うこと間違いなし。私は断固受け取りを拒否。「つこたらええんや。買うたら高いんやで」なおも勧めてくる父。無視してその場から逃げる私。

今にして思う。あの頃父が勧めてくれたコール天のズボンや厚手のオーバー、トレンチコートが、今目の前にあれば、私は迷うことなく使わせてもらうだろうなと。カビの匂い、色あせ、そんなものは確かにあったけど、モノは確かだった(ような)気がする。もしかすると、父の部屋を埋め尽くしていた、なにがなんやらわからんモノたちは、今の古着屋さん、古物商さんたちが見たら、宝の山だったのかもしれない。

モノの価値は人によって変わるのだ。こちらでは役立たずでも、あちらでは貴重品ということだってあるのだ。人も同じ。どこかに自分のいるべき場所がある。そこを見つけることが出来れば・・・。

便利なもの、ムダのないもの、スマートなもの、おしゃれなもの。テレビや雑誌やネットでそういう洗練されたモノを見ているうちに、なんだか不思議に父のオーバー(断じて言うがコートではない!)を懐かしく思い出してしまった。


今ちょっと、父に申し訳ないことをしたなと反省している。



gonbe5515




by starforestspring | 2017-06-16 19:23 | 思い出 | Comments(0)

親方日の丸

私が将来の仕事を考え始めた頃、叔母がよくこう言っていた。
「gonbe、なんちゅうたかて、親方日の丸が一番やで。将来心配せんでもええねんし」

叔母は若い頃長野から大阪に出て来た。知らない土地でいろんな苦労をしてきたらしい。
だからだろうか、叔母はとにかく『親方日の丸』を勧めた。自分の経験がそれを言わせたのかもしれない。でも私は、叔母に逆らって民間企業に就職を決めた。お上の世話になる、そのことになんとはなしにの罪悪感を感じてしまったし、将来が安心とわかってるところに行って、面白いのかなあと漠然と疑問に思ったのだ。

親方日の丸には親方日の丸なりの楽しみがあるだろうし、労働に対するモチベーションを上げるものもあるに違いない。親方日の丸という労働環境が私にあっていたかどうか、そんなことを今更考えても仕方がないのだが、もし、私がそうしていたら、叔母は狂喜乱舞して喜んだろうと思う。

後悔があるとすれば、幼い頃から口に尽くせないほど世話になった叔母に、狂喜乱舞させてあげられなかったことだろうか。世話になるばっかりで一度も喜ばせてあげたことがないように思うので。


昨夜、探偵バクモン「新幹線&ドクターイエロー祭り」という番組を見た。
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黄色い新幹線、ご覧になったことあります?その役割、ご存知です?私は子どものころから東海道新幹線を間近に見て育ってきたわけですが、ああいう役目を負った黄色い新幹線があることを、全然知りませんでした。もちろん見た記憶もない。

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こういう番組を子どものころに見ていたら、列車を安全正確に動かすこと、それに憧れを感じて、叔母の勧める親方日の丸(日本国有鉄道)を目指していたかもしれない・・・>発想の飛躍

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バカな空想ではあったけれど、この番組のおかげで、久しぶりに叔母の顔と豪快な笑い顔を思い出せたのはよかった。



gonbe5515


<注>叔母はまだ存命です。




by starforestspring | 2017-05-04 18:45 | 思い出 | Comments(0)

阪急神戸線神崎川駅

なんの小説だったか、亡くなった人の角膜に、一瞬の映像が焼き付いていて、それを発見した人が、その一瞬に思いを馳せるという・・・。灯台に流れ着いた水夫の話だったかなあ。灯台の中で談笑する家族の姿を見て、自分がここで声をあげたら、あの微笑みを奪ってしまう・・そう思ってためらってるうちに、波にさらわれてしまう。そんな話だったか。


誰しも忘れられない一瞬を、記憶のフィルムに焼き付けているものではないかと思う。忘れようとしても忘れられない強烈な瞬間もあるだろうし、なんでこんなものをと、不思議に思うこともあるだろうし。

昭和52年。私は大阪にいて、最初に過ごした通天閣近くの下宿から、下宿を二度変わる。阪急神戸線十三の次の神崎川。駅を出て、神崎川にかかる橋をわたり、すぐの信号を右にまがると商店街。 商店街を通り抜け、街灯が途切れたところの左側にある文化住宅が私の新しい城だった。

引っ越したその日の夕方。初めてその部屋の電気を点けた。傘のない裸電球。ソケットのスイッチをひねる。フィラメントが発光する。部屋が照らされる。オレンジ色に映し出された部屋。段ボール箱と布団と、その隙間から見える畳。

あの時、灯りの中に浮かび上がった光景を私は一生忘れない。なんで自分はこんなところにいるのか。なんでその灯りのむこうに、私のものではない影が見えるのか。

裸電球に照らされた自分の城は、自分の城でいて自分の城でないような。戸惑いと不安とわけのわからない時間。19歳の夜。

そんな時代が今の私の根っこになってるんだなあ。
あの時代があればこその今なんだなあ。

そんなふうに、今だからこそ思える・・・・わけないやろボケ!


忘れてしまいたい黒歴史。
なのに消えない裸電球に映し出されたあの夕方の部屋の光景。


歩いて5分のところにあった銭湯に、洗面器に入れた石鹸とタオルを持って歩いていった。待ち合わせはいつも25分後だった。


gonbe5515



by starforestspring | 2017-04-26 19:39 | 思い出 | Comments(0)

Yさんのこと

「早く大人になりたい」
中学生のころからずっと私はこのことばかり考えていた。

当時、私がもっとも信頼していた大人は、姉の夫のYさん。
17歳の姉を嫁にしてくれたその人は、当時21歳。私は13歳だった。

Yさんに教えてもらったことはたくさんある。
喫茶店という、13歳にとってちょっと敷居の高い、ドアの向こうにどんな世界があるのかわからない場所に連れて行ってくれたのはYさん。
ウエイトレスさんが持って来てくれたコーヒーに、「gonbeくんはフレッシュ(京都ではコーヒーに入れるミルクのことをそう呼んだ入れたほうがええで。スプーンでコーヒーを回して、ほんで上からフレッシュ落とすんや」言われたとおりにやってみると、フレッシュが渦をまいてコーヒーと混ざっていった。その様子に見とれてしまった。

Yさんの 愛車はマツダが社運を賭けて開発したロータリーエンジンを積んだサバンナクーペ。「 アパートの前に車を停めるときのエンジン音を聞いただけで、Yさんが帰ってきはったのがわかるねん」姉はそういって、幸せそうに笑っていた。
助手席に座らせてもらった私にYさんは、「直角なカーブを曲がるときは、その直前にハンドルのこのへんに手を持ってくるんや。45度くらいのカーブやったらこのへん、Uターンするときはここまで手をもってきて、ほんでぐるっと回す。」Yさんに教えてもらったハンドルの回し方は、18歳で免許をとったあと、公道や山道をブイブイ言わせることになる私の、大切な基本になった。

吸ってたたばこはハイライト。
「一番おいしいのは缶ピーやな。(缶入りピース、今でも売ってるのか?)次はショーホーかな。セブンスターはまずうて吸えへんわ」
こちらも、高校一年生でたばこの味を覚え、私が後にショーホーひと筋になるに至る、重要な参考意見となったことは、今日まで誰にも言えずにいる。


私が思い描いていた“大人”は、自分で稼いだ金で、自分と家族を食わせること、人並みの生活が出来るだけの収入であること、もの知りであること・・・だった。Yさんは、13歳の私の、理想の大人だったのだ。弟には手に負えない姉を、ちゃんとコントロール出来、義弟たちの面倒をよく見てくれるYさんは、私の思い描くとおりの大人だった。

そんなYさんと最近疎遠になっている。
あんな姉をやさしく見守ってくれ、ナマイキ盛りの義弟たちの面倒を見てくれたYさん。最近、盆や正月、時々の親族の集まりに、全然顔を出さなくなったのは、“家庭の事情”によるものだと兄から聞いているけれど、元気にやっておられるんだろうか。


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“スマイルジャパン”の乙女たちが、見事に予選を突破したアイスホッケー平昌オリンピック最終予選。その中継中、アナウンサーがたびたび発した言葉。それが札幌オリンピックの時、ハイライトをくわえたYさんの横顔と、ちょっとハスキーな声を思い出させてくれた。


「自分とこの陣地から打ったパックが、誰も触らんと相手のゴールラインを越えたら“アイシング” 言う反則になんねん。」


gonbe5515





by starforestspring | 2017-02-14 13:16 | 思い出 | Comments(0)

母なる道 ルート66

アメリカ合衆国。シカゴからロスアンジェルス、サンタモニカまで。
ルート66という道があった。

『怒りの葡萄』
『イージーライダー』
『バグダッドカフェ』

これ以外にもこのルートが登場する映画は多いはず。
アメリカ大陸を東から西に横断するこの道は、若い頃の私の憧れの道。

初めて車を手にしたとき私は、「これで、どこへだって行ける」そう思った。

どこか遠いところまで走る。どれくらい時間がかかるか、どれくらいの距離があるか。そんなことを考えず、とにかく走り出す。


長い一本の道をただ走る。
時間を気にせず、距離を気にせず。
走ること。それ自体が目的になっていた頃。

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もう遠い昔のことだけど、オンボロ車を駆って、知らない町を通り過ぎ、知らない町に向かっていったあの頃を懐かしく思い出す。

車と自分とが、バディだったころの話。


gonbe5515
by starforestspring | 2016-12-21 12:59 | 思い出 | Comments(0)

愛と哀しみの喫茶VICTOR 2

ドアを開け、店内に入って空いてた席に座る。
店の中央近く、厨房に近いところ。

アイスコーヒーをオーダーして店内を見渡す。
子供の頃遊んだ公園を、大人になってから訪ねるとその小ささに驚くというけれど・・・この店、こんなに狭かったっけ?

この店にまつわる話をどういうふうに紹介すればいいのだろう。
ハイエナの群れの前に迷い込んでしまった羊の子ども。
その子がどうなるか。私はこの店でそれを知ったのだ。

私は怒っていた。
行き先を確かめもせず、なんの備えもせずにあっけらかんと道に迷ってしまった羊の子どもに。目の前に現れた羊の子どもに対し、迷い込んできた理由を確かめもせず、“美味しそう”ただそれだけしか見なかったハイエナの群れに。

ある夜、店の閉店時刻を待って私は店内に入った。
ハイエナに抗議をするために。店内には私とハイエナとが二人きり。


ですが、わたしもまた、子羊でしかありませんでした。


大人は、
大人というものは、
なんと手強いものなのか、私はその夜知ったのです。

今なら私はハイエナの気持ちがよくわかります。
大人にとって・・・人生のあれもこれもを経験してきた大人にとって、羊の子どもなんてものは、なんの脅威でもなかったのです。羊の子どもに言いたいだけ言わせて、表情を変えず、感情を押し殺してひと言「それがどうしたん?あの娘はワシについてきたんやで」

私は返す言葉を見つけることができなかった。


38年が経ち、私はこの店にもどってきた。
ウエイトレスは、目の前にいる客にそんな過去があったと知るはずもなくオーダーを取りに来て、そしてオーダー通りのものをあたりまえに置いていく。


あの夜、下宿に戻ってラジオをつけると、ジュリーが歌う「勝手にしやがれ」が流れてきた。
大人でもなく、子どもでもない。自分がなにものかもわかっていないくせに、他人の人生に関わろうとした。


あのころ、私はそんな19歳でした。


gonbe5515
by starforestspring | 2016-08-19 21:16 | 思い出 | Comments(0)

愛と哀しみの喫茶VICTOR 1

昨日の記事のとおり、今年は大文字送り火を見ることができませんでした。
滅多に出来ない経験・・と逆にほくそ笑んだ翌日、私たち家族はなぜか梅田におりました。
当初の予定ですと嵐山にいるはずだったのですが・・>竹林を見に。

梅田。
青春を過ごした街、毎日が思い出となった街、梅田。

ウインドーショッピングをしたがるニョーボと娘二人。
そういうのにつきあうのはまっぴらゴメンですし、私も一人であちこち歩きたかったので別行動をとることにしました。


私が毎日歩いていたころとは全然ちがっています。
昔は改札を出たあとエスカレーターを下りると、阪急ブレーブスの試合の途中経過や結果を表すためのスコアボードが常設してありましたし、♪こんにちは こんにちは こちらは阪急三番街♪という歌がいつも流れていたものです>これだけをとっても何十年前なんだというツッコミが聞こえてきそう。


紀伊国屋に入りました。
この店にどれだけお世話になったかしれません。
私が通ってたころに比べると棚や通路はキレイに整頓されています。
昔は雑然という言葉がぴったりの店でした。通路に積み上げた本がはみ出してるなんてあたりまえでしたしね。今は本当にキレイです。入ってすぐに気がついたんですが、富山にある紀伊国屋と雰囲気が同じなんですね。会社の方針として統一されたものなのでしょうが、昔を知るものにとってはちょっと残念な気がしました。>オッサンの繰り言です。流してください。

それにしてもあの広さは本当にありがたいです。立ってるのに疲れて、ちょっと座りたいなあと思っても店の中に椅子はありませんし、店を出た広場にもベンチはありません。紀伊国屋で長逗留をするつもりなら、それなりの準備と工夫が必要のようです。

紀伊国屋を出て、茶屋町口方面に歩きました。
地蔵横丁。なっつかしいですね!バスターミナル、そうそうこの排気ガスの臭い、覚えてますよ。そうしてふと振り返った私の視界に、小さな文字が飛び込んできました。

『VICTOR』

喫茶VICTOR!

まだあったのか!
まだあったのか!

入り口のドアをしばし見つめ、私は中に入りました。
この店に入るのは、38年ぶりでしょう。
あのころ私は10代でした。

おとなへの階段を一歩昇る。
そのきっかけをくれたのは、この店でした。


長くなったので、つづきは次回。



gonbe5515


つづけるほどの内容があるわけではない・・ということは、お詫びしておきます。
by starforestspring | 2016-08-18 18:16 | 思い出 | Comments(0)


タベリストgonbe     よしなしごとつづり


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