カテゴリ:思い出( 125 )

縁台将棋

2007年に放映された番組、『運命の一手 渡辺竜王VS.人工知能・ボナンザ』を、再放送で見た。最強の棋士と将棋ソフトが対戦した時のドキュメント番組。

10年前にこんな番組が放送されていたとはつゆ知らず。興味深く見させてもらった。この時の対局では渡辺竜王が勝っておられる。しかし、ボナンザにあと一歩のところまで追い詰められた勝利だったことが、番組で明かされる。


なぜボナンザがこれほど強いのか。ボナンザについて書いたwikiを見てもチンぷんかんぷんなのだが、早い話が、将棋というゲームは数式に置き換えることが出来ると。

将棋も囲碁も、麻雀もコンピューターゲームで出来る時代になった。競馬だって、コンピューターソフトを使って着順を予想し、億単位のお金を注ぎ込んで、これも億単位の利益を上げておられる方もいる。二本足で立つ人間を、鉄の塊で空に打ち上げて、酸素のない空間を飛び越え、ぽっかり浮かぶ月にまで送り届けることが出来たのも、コンピューターの計算あってのこと。

その技術の進歩のおかげで、私はこうして記事を更新することが出来るし、私が気づかないだけで、日々の暮らしでコンピューターの恩恵を受けているはずなのだ。

番組を見ながら私は、夏の暑い夜、家の外に置いた縁台に座り、ステテコ姿で左手に団扇、右手にビールを持ち、楽しそうに将棋を指してた近所のおじさんたちの姿を思い出していた。打ってる人と、見物の人たちとの愉快なやりとりの声も思い出すことができる。母親が子供を呼ぶ声、花火の煙、子どもたちの笑い声、キリンビール。それらが揃っていたあの夏の夜は、懐かしい昭和の時代の一コマだった。


縁台と、ステテコと、ビールと団扇があっても、近所のおじさんが指してる相手がコンピューターだったとしたら・・・。


昭和は遠くになりにけり。

・・・・And that's the way it is.

gonbe5515

by starforestspring | 2017-12-18 14:31 | 思い出 | Comments(0)

人の値打ちと・・・

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はしだのりひこさんが亡くなられたそうだ。
フォーク・クルセダース、シューベルツ、クライマックス等、私が小学生、中学生だった頃は、この方の歌声がどこででも聞こえていた。

悲しくてやりきれない
青年は荒野をめざす
「さすらい人の子守唄」
「風」
「花嫁」


はしだのりひこさんが所属したグループの曲は、今でもなにかの拍子に口ずさむことがある。

お噂を耳にすることがなくなったことを不思議に思わなくなってしまってからの訃報。子どものころ、あんなにお世話になっていたのに、申し訳ないことだ。


人の値打ちと煙草の味は 煙になってわかるもの




gonbe5515




by starforestspring | 2017-12-03 19:37 | 思い出 | Comments(0)

焚き火

今日は日本全国、この冬一番の寒さなのだそうだ。北陸富山も、週明けには雪が降るかもしれないとのこと。重い灰色の雲、冷たい雨、湿った雪。いよいよ冬本番のようだ。

会社の庭の楓や欅の葉も、どんどん落ちてくる。竹ぼうきを使って落ち葉を集めていると、思い出すのは一休さん。掃いても掃いても落ちてくる葉。寺の小僧さんにとっては、なによりの精神修養だったことだろう。

毎朝掃除のたびに集まる落ち葉が90Lのポリ袋ひとつかふたつになる。実は私、これを捨ててしまうのが惜しくてたまらない。オッサンの昔語りを許してもらえるなら、集めた落ち葉はかっこうの焚き火の材料であったはず。


最近、焚き火に遭遇することがなくなった。刈り取りの終わった田んぼで、籾とか藁を燃やしているのは時々見るが、あれは焚き火というより処分と考えていいだろう。火をつけた人も、ずっとそばについてるわけではないし、田んぼの真ん中で燃やしてるので、他人が勝手に近づいていくこともならず。

♪垣根の垣根の曲がり角
♪焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き
♪あたろうかあたろうよ
♪北風ぴーぷー吹いている

わかりきったことを言うようで申し訳ないのだが、「垣根」というのは、家の敷地と敷地外との境界を示すもの、あるいは境界線。であるから、この童謡に出てくる焚き火は、どちらさんかの家の敷地のすぐそば、人が行き交う“道”で行われているのである。

この歌の情景が現実だった頃、歌詞にあるように焚き火へは誰もが寄っていけたし、好きなだけ暖をとり、適当なタイミングで離れていけばよかった。手をもみ、手をかざし、顔にあたる焚き火の熱を感じながら、一緒にあたっている人たちと挨拶を交わす。私が小学生だった昭和30年代の終わりから40年代にかけて、そういう光景はたしかにあったのだ。

「あたらせてもらえますか?」
「へえ、どうぞどうぞ」
ご近所さんはもちろん、どこの誰とも知らない人がやっている焚き火であっても、誰もが自由にあたることが出来た。


今や、焚き火は日常ではなく、非日常のものになってしまった。
焚き火から出る煙が洗濯物ににおいをつける。玄関から吹き込んで目がいたむ。そんな“迷惑”をご近所さんにかけては申し訳ないという気配りが、ご近所づきあいに欠かせなくなってしまった。


ただもう、無性に焚き火がしたい。集めた落ち場をこんもり積み上げて、煙にゴホゴホ言いながら、火の番をしていたい。道の端っこのほうで焚き火をしてたら、ご年配の方は間違いなくあたりにくるだろう。学校帰りの小学生だって寄ってくるかもしれない。学校で知らないおじさんにむやみに関わらないようにと教わっていても、寒い風が吹き付ける帰り道、暖かい炎は先生の言葉より魅力的だろう。

冷たい冬の数少ない楽しみのひとつだった焚き火。それが出来ないのが口惜しくてたまらない。だもんで、せめてもの埋め合わせに、こんな本を買って、冬が来るたび開いているのだが、悲しいことにこの本を読んでても、ほっぺたが熱くなってはこないのだ。

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・・・・And that's the way it is.

gonbe5515


by starforestspring | 2017-11-19 13:55 | 思い出 | Comments(0)

日本シリーズ余話

一昨日のこと。

仕事をしている私のスマホに、SMSメール着信音が鳴った。「誰だろう?ニョーボか?娘か?」と思ってスマホを手にとってみたら・・・。

「○○です。」という書き出し。
「え?」

なんと送り主は、25年前に転任していかれた、私の大先輩。当時若手だった私たちのリーダーとして、関係各方面に△△(←会社名)に○○あり」と勇名をはせたお方。若手たちからは尊敬と畏怖の視線を浴びつづけ、それに臆することなくブイブイ言わせてた方だ。


25年前、私たちはあるプロジェクトに携わっていたが、そのプロジェクトの目鼻がついた頃、○○さんの直属の部下3人(私もその一人)が寿司屋に集められた。連れだって店に向かった3人は、きっとプロジェクト完遂おめでとうのお祝いだろうと思ってのれんをくぐったんだ。で、乾杯が終わってビールを一口飲んですぐに○○さんが「実はワシ、来月から社長秘書として、大阪勤務になったんや」一同唖然。よくもまあ、ビールを吹き出さなかったもんだ。

「そ、それはどういうわけで」
「社長に聞いてくれ」
「いやいや・・だっていきなり大阪なんて・・
「そうですよ、第一○○さんおらんなったら私らどうなるんですか?
「まあ、3人で力合わせてがんばってくれや」
「いやいやいや」×3

その後の話で、社長が富山に視察にいらしたときに、案内役としてついた○○さんの対応を社長がおもしろがり(いい意味で)、その後社長が出したそれとわからないテストにも、○○さんは文句のない対応をしたことが決め手だったとか。全国に展開するグループの末端から、いきなり本部の社長室への大抜擢。

その後、時たま富山にいらっしゃるのだが、そのたびに容貌が変わっていかれ。。。最初はヒゲ。そのあとメガネ。そして極めつけはストローハットにリュック。「今から立山に登られるんですか?」というような風体で「おう!gonbeくん、元気か。ちょっと机借りるで」とリュックから出したポットで水を飲んだあと、マシンガンのように電話をかけまくる。かける相手は札幌だったり八代だったり広島だったり。



知る人ぞ知る伝説の人なのだ。その伝説の人が送ってきたSMSメール。一体なにごと?と思って開いてみたら。。

「横浜、勝つといいね!」

○○さん・・いつからそんなに軽くてタイムリーな話題を語られるようになったんですか?


今は引退され、神戸にご在住。○○さんと一緒に仕事をさせていただいていた頃、私はまだ30代。毎日新しいことを覚え、覚えるたびに自分が強くなったような気分になり、もっと強くなりたくて、新しい仕事にぶつかっていた。なんであんなにがんばれたんだろうと振り返ってみると、それは間違いなく○○さんの存在があったから。


本当にひさしぶりに、ヒゲとメガネとストローハットの○○さんのお姿を拝見したような気がした。スマホの文字は、それが誰からであっても同じ文字で表示されるはずなんだけど、「横浜、勝つといいね!」の短い言葉が、あの丸くて、元気がよくて、飛び跳ねたような、○○さんの文字に見えた。


これからもどうか、お元気でいらしてください。横浜は負けてしまいましたけど。


・・・・And that's the way it is.

gonbe5515





by starforestspring | 2017-11-06 18:42 | 思い出 | Comments(0)

らくだの下着

「大人になったらわかるから」
「親になったらわかるから」
「トシをとったらわかるから」


子どものころ、10代のころ、ハタチを過ぎたころ、大人たちからなにかにつけて、こんなことを言われた。そんなもんか・・と聞き流していたものの、実際自分が大人になり、親になり、トシをとってくると、なるほどと思うことはそれなりにある。“それなりに”と、変化球を使って表現するのは、どれもこれもがそのとおりだったわけではなく、単なる大人の方便、言い逃れ、その場しのぎで使われたに違いないと思われることも多いからだ

それはさておき。

小学生中学生のころ、パッチ(説明不要ですよね?)を履くのがイヤだった。
♪京都の秋の夕暮れはコートなしではさぶいくらいで
と歌われた京都の晩秋、そして頬を切るような風が吹く冬、私たちはズボン一枚で京都盆地の底冷えに対抗していた。パッチを履くのは恥ずかしい行為。みんながそう思ってて、なにかの拍子にズボンの裾から靴下の中に折り込んだ白いパッチの色が見えると、「あ~~!○○、パッチ履いとる!」と、大騒ぎされたもんだ。ある意味それは屈辱的な言葉で・・・。

私の父も、よく「なんでパッチ履かへんねん」と言っていた。パッチを無理強いしなかった父ではあるが、ある寒い冬の朝、学校に行こうとする私に、毛糸の帽子を突きだして「gonbe、今日はこれかぶってけ」と言った。もちろん私は断った。当時の私にとって、毛糸の帽子というものはファッションでしかなく、カッコつけのためのもの。防寒のために帽子をかぶることは、ええとこのボンボンが、半ズボンにつけるサスペンダーと同じ意味だったのだ。そんなものかぶっていったら、友だちになにを言われるか簡単に想像がついた。

それでも父は手を引っ込めない。時間もなかったし、手を引っ込める様子もないので、とりあえず帽子をかぶり、玄関を出た。で、家から少し離れたところで、帽子を脱いだのだが、父は私の姿をずっと目で追いかけていたようで・・・。学校が終わり、家に帰ったら父にこっぴどく怒られた。

そんな私が今は、朝の散歩の時には欠かさず防寒用の帽子をかぶる。冬の寒さが身にこたえるようになると、防寒用タイツをズボンの下に履く。帽子は薄くなった頭頂部に直接吹き付ける風を防いでくれる。防寒用タイツは、雪と氷の冬に、外出するための安心をくれる。遠い昔、見栄と恥ずかしさから我が身を守るために手放していたものを、今当たり前のように享受している。帽子って、パッチって、こんなにも暖かいものだったのに。大人になったらわかるものって、こういうことだったのか。

そんな私でも、まだ二の足を踏むのがらくだの下着。

映画『春との旅』のに忠男がカップ酒を飲むシーンがある。春と旅に出た最初の夜、春が風呂に入ってる間にカップ酒の蓋を開けて、そのまま一気飲み。「お・み・ご・と!」と手拍子を3回、「忠男さんは~お強い!」と、はやしたくなる飲みっぷりだったのだが、その時忠男が着てたのがらくだの下着。

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忠男はもう80近い年齢。見た目とかブランドとかではなく、身につけるものに求めるのはただ一つ、“機能”だろう。夏なら涼しく、冬なら暖かくいられるもの。そのモノサシでいえば、らくだの下着は、なににもまして“機能的”なものに違いない。

らくだの下着。白ではないベージュ色。毛を使ってるから厚手である。申し訳ないけれど見栄えがいいとは言えない。。でもきっと、とっても暖かいんだろうなあと、着てる忠男がうらやましく思えてしかたがなかった。


幼いころ、小さい頃、若い頃・・・時々によってツッパっていた。やせ我慢をしても、手に入れなければならないものがあった。ツッパラなくてもよく、やせ我慢もしないで済むようになったとき、らくだの下着はとても頼もしい相棒になるんだろう。らくだの下着は、トシを重ねてきたものだけが身につけることの出来る、ごほうびのようなものなんじゃなかろうか。

いつか忠男のように、らくだの下着を着て、あぐらを書いて、カップ酒を飲む、らくだの下着が似合う爺ちゃんになりたい。そんなことを思う富山の秋の夕暮れだ。



・・・・And that's the way it is.


gonbe5515



by starforestspring | 2017-11-04 19:04 | 思い出 | Comments(0)

しさ

漢字というのはおもしろいもので、読むのになんの問題もないくせに、いざ書こうとしたら「はてどんな字だったっけ?というのが結構ある。“憂鬱”とか“檸檬”とか“薔薇”とかは、飲み会での話のネタになるくらいで、実生活で書くことはほぼないから省くとしても。

今日、たまたま「かぶとやま」さんという方に電話をかけることになり、メモにその名前を書こうとしたら・・出てこないのです。「かぶと?えっと、左と右が対照で、真ん中に・・あれ?どんなだっけ。下は児童の児と同じで・・」と、悩むばかりで書けない。

正解は“兜”で、真ん中は“白”でありました。

漢字をすらすら書くには、本を読むのはもちろんですが、実際に使わないとダメですね。キーで打つんじゃなくて、鉛筆で書くことで、頭に入る。小学校のとき、漢字の書き取り100回とか宿題が出て、嫌々やってましたが、あれは実に的を得た教育法だったと今にして思います。


昨日の“世論”と同様、忘れられないのが“示唆”
小学校だったか中学校だったか忘れましたが国語の試験でこの漢字の読みがテストに出たのです。私、“ししゅん”と書きました。

何日かして、テストが返されるとき、先生が言ったことにびっくりしました。「このテストの中に出た“示唆”という字の読みは、学年で正答者が一人もいませんでした。これは“しさ”と読みます。みんなよく覚えておくように」

学年で一人も正しい読みをする生徒がいなかった!これはすごいことではないですか?45人学級で6、7クラスあってですよ。もし誰かがちゃんと読んでいたら、一躍時の人でした。私、国語、特に漢字の読みには自信があったので、時の人になりそびれたことにすごく悔しい思いをしたのを覚えています。以来、この読みを忘れることはありません。


漢字に限らず、年号とか、歴史上のある出来事とか、なにかのきっかけでずっと忘れずにいることがいくつかあります。それらを新聞やテレビや小説とかで見つけたりすると、合わせてそのきっかけのほうも思い出して、しばらく遠い目をしてしまいます。私にとってはこれがなかなか味わい深いものでありして。


「現実世界を見ろよ現実世界を!というお叱りもございましょう。しかし、こういうのを時々振り返ることで、老後が過ごせるとも言えませんか?現実を見てて楽しいことばかりなら、わざわざ過去を振り返りもしませんよ。


それを言っちゃあおしまいか。。。


・・・・And that's the way it is.


gonbe5515



by starforestspring | 2017-10-30 19:49 | 思い出 | Comments(0)

諸口あきらさん、逝く。

もう一月ほど前の話になるのだけれど・・・。
そんなに前のことを、これまで書かなかったのには訳があり。

 「キツかったから」

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諸口あきらさんが9月10日に亡くなった。
リンクをさせていただいているsanaseさんの記事で知ったのは9月の20日すぎ。記事を読んでその、なんというか・・・もうとにかく狼狽してしまって。

私が中学生のころに始まった「KBS日本列島ズバリリクエスト」のDJをやっておられた。もうひとり、尾崎千秋さんというDJもいらっしゃったのだが、私は諸口あきらさん・・・ええぃやっぱり“兄ぃ”と呼ばせてもらおう・・ばかり聞いていたのだ。翌朝眠い目をこすり、あくびをしながら学校に行き、教室に入って席につくなり近くの友人に「昨日の兄ぃ、聞いた?」と話しかけるのが、一日の始まりだった。

この番組で覚えたことは数知れず。広沢虎三の清水次郎長伝は、今も私のiPodに入ってるし、渋い節回しの都々逸だって、いくつかは覚えた。そしてギターの楽しさを知ったのも兄ぃのおかげだったのだ。キーストンの話を知ったのも兄ぃが教えてくれたからだし、太平洋クラブライオンズに心揺れたのも兄ぃのせいだった。兄ぃと違って女のコにもてもしないのに「流れ者にゃあ女はいらねえ」と粋がっていたのも兄ぃの影響。


宵々山での兄ぃの歌は、今でもCDで聞くことが出来る。でも亡くなってしまってから聞くその歌はやっぱりなにかが違うんだ。

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・・・とにかく、兄ぃはもういない。


And that's the way it is.

兄ぃ、私もこれから、この言葉を使わせてもらっていいかな?


合掌


gonbe5515




by starforestspring | 2017-10-04 15:49 | 思い出 | Comments(0)

労働基準監督署と私

昔、『ダンダリン労働基準監督官』というドラマがあった。竹内結子さんが主演を務めておられて、毎週見てた記憶がある。#今となってはドラマの内容について思い出せないところが残念なのだが。


労働基準監督署。
週に何時間、月に何時間の労働時間を超えてはならない。ただし、労使協定で別途条件を取り交わした場合はその限りではない・・そういう部分をチェックし、指導するのがお仕事の一部であるところ。

我が社はこのお役所のお世話になったことがある。誤解のないように申し上げておくが、ブラックだったということでは決してない。従業員が仕事に燃えて、会社の業績を上げ、その結果として自分の収入を増やすことに喜びを感じ、日々働いているうちに、つい労働時間が増え、つい休日出勤が増えてしまっただけなのだ。多くのスタッフに不満というものはなかったと思う。どちらかと言えば彼らの側にいた私は、そういう面での不平不満を聞くことはなかったことから、それは自信を持って言える。

ところが、大勢いるスタッフの中に、労基にその状況を「畏れながら申しあげます!」と訴え出たうえに、匿名で怪文書を社内にばらまいたヤツが出た。当時のことは思い出したくもないのだが、お気の毒だったのは労基から呼び出された我々のトップで。

結果、社労士さんの指導を受けながら、労働時間の短縮、休日の確保、給与体系の見直し、スタッフの異動等々、落ち着くまでにどれほどの期間を要したことか。なんかそれ以来、会社が骨抜きにされてしまったという思いが私にはある。そして私の歯車もそのあたりからずれ始めた気がしてならない。

お上に訴え出たスタッフの行為を否定はしない。労働者として認められていることなのだろうと思うし。私が気にくわなかったのは、社内に問題提起をする機会も場所も用意されているのに、お上に訴え出る前に、どうしてそれを利用しなかったのかということだ。

世の中にはさまざまなルールがある。こうでなければならないという縛りもある。それを遵守することは当然の権利であり正義だろうけれど、それがあてはまらない仕事も世の中にはあるはず。そしてそういう労働環境の中で、喜びと充実感を持って仕事をしている人だっているはず。

ものごとには表もあれば裏もある。左もあれば右もあり、上だって下だって斜めだってある。表から見えたことだけを理由に、斜めに生きる人たちを責めるのは正しいことなのか。


今日久しぶりにそびえ立つ労基のビルの前を通り、あの頃の口惜しさを思い出した次第。


gonbe5515



by starforestspring | 2017-10-03 20:23 | 思い出 | Comments(0)

あのころボクは若かった。

テレビが壊れまして。

寝室の窓際に置いてあるんですが、その日は窓を開けてベッドの上で本を読んでたのです。
知らないうちに雨が降りはじめたらしいのですが、音に気づきませんで。
トイレに行くのに起き上がったとき、窓際あたりの水たまりを見て事態を把握。
慌てて近づいたら、テレビ台の上に水たまり。テレビの裏側にも結構かかってた様子。

その日からテレビは起動してくれなくなり。
濡れて故障したんだったら、乾いたら直るだろう。
そう思って3日ほど放置して、そろそろよかろうともう一度スイッチをいれても、やっぱり起動せず。

昨日近くの修理屋さんに持って行きました。

その修理屋さんに持ち込んで、事情を話し、預かり証ができあがるまで退屈だったので、壁にかかってる料金表を見てました。すると料金表の下に小っちゃく「修理中テレビの貸し出しを希望される方はお申し出下さい」と書いてある。

「あ、あの・・・」
「はい?」
「テレビ、貸してもらえるんですか?」
「ええ、お貸ししますよ。小さいヤツですけどね」
「助かります。貸して下さい。」
「貸しましょう!」

で、出てきたテレビがホントに小さくて。
モニターの高さが20cmくらい。
家に帰ってつけてみたら、ちゃんと映って。
「小っちゃ!」って思いながら見てるうちに、なんだか慣れてしまって。
今もついてますが、不便を感じないようになった自分が不思議。


今日の記事、なんのこっちゃ・・な方は多いと思います。いや、皆さん全員そうかもしれません。

ただ、小っちゃいテレビを見てるうちに、一人住まいをしていたころのことを、お金がなくて、ラーメン(主としてお湯をかけるだけの、手間いらずが魅力のTラーメン) ばかり食べてた頃を思いだしまして。モニター高さ20cmから現在にいたるまでのテレビの遍歴を思い出しまして。なんだかとても懐かしく。


初めてテレビ台とセットで買ったときは嬉しかったなあとか、ソニーの企業向け展示会で衝動買いしたアイツを見てたころは人生イケイケだったなあ・・とか。扇風機とか洗濯機には、なかなか思い出はついてこないんですが、なぜかテレビにはそういうのがあって。

ほろにがくも懐かしいひとときを過ごさせてもらいました・・という、本日はご報告でした。


どーもスミマセン。


gonbe5515



by starforestspring | 2017-07-16 22:25 | 思い出 | Comments(0)

実は私が野球少年だったということについて

私、今でこそサッカーの記事ばかりアツク書いてますけれど、 小学生から中学生にかけては野球少年だったのです。

野球、好きでした。見るのはもちろんですが、プレーするのもね。

好きな選手は王貞治さん。長嶋さんには魅力を感じなかった。そのくせ、チームでの守備位置は主にサードでした。自分で言ってしまうと嘘くさいですけど、打つほうも守るほうも、それなりに認められていたと自負しております。

忘れもしません、中学入学のとき。私は野球部に入りたかったのです。
が、野球部に入るにはいろいろ物いりでございまして。ユニフォーム代なんぞ、とてものことに親にねだれる金額ではございませんでした。(今なら笑って出せるのに!)自己解決してしまった私は、親の負担が一番軽くてすむだろうと思った水泳部に入ったのでした。(必要経費=水パン一枚の購入費用)

・・・思い出したくもない昔話でありますが。

そんな私が好きだったのは、江口寿史さんの「すすめ!パイレーツ」
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あれはよかった。実によかった!

千葉って、東京からみれば田舎なんですか?展開される自虐ネタ。面白かったです。当時の私は、NHKの天気予報で映る近畿地方だけが“世界”でしたので、千葉という一見都会だけれど、東京モンからすれば田舎者っていう知らなかった格差をネタにしたマンガが面白くってたまらなかった。

野球少年だった私ですが、日本のプロ野球における嘘くささに嫌気がさしたのがハタチすぎ。以来毎晩放送されるプロ野球中継は見なくなりました。愛する大洋ホエールズがセリーグの何位になったのかを気にするのは、秋風が吹いてからということに決めてました。その後、横浜ベイスターズがセリーグを制覇し、日本一になったのは1998年。その年は、我が娘たちがこの世に登場してくれた年でもありましたので、今でも1998の並びには低頭平伏してしまう私です。

すすめ!パイレーツ」は、「パタリロ!」とともに、大笑いできたマンガでした。あれはよかった。心の底から笑えた。社会・・というなんだかうさんくさいものに取り込まれそうになってしまっていた私が、いっときそういうものを“完全に”忘れることができたマンガでした。

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江口寿史さんのイラスト、今でも本屋さんで販売してるのを見かけます。それなりのお値段がしますが、ほしくてほしくてたまらない。あの方の描く女の子は魔性のコ、そして、オジサンを救う女神、なのであります。



gonbe5515





by starforestspring | 2017-07-05 19:35 | 思い出 | Comments(2)


タベリストgonbe     よしなしごとつづり


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