カテゴリ:思い出( 111 )

Yさんのこと

「早く大人になりたい」
中学生のころからずっと私はこのことばかり考えていた。

当時、私がもっとも信頼していた大人は、姉の夫のYさん。
17歳の姉を嫁にしてくれたその人は、当時21歳。私は13歳だった。

Yさんに教えてもらったことはたくさんある。
喫茶店という、13歳にとってちょっと敷居の高い、ドアの向こうにどんな世界があるのかわからない場所に連れて行ってくれたのはYさん。
ウエイトレスさんが持って来てくれたコーヒーに、「gonbeくんはフレッシュ(京都ではコーヒーに入れるミルクのことをそう呼んだ入れたほうがええで。スプーンでコーヒーを回して、ほんで上からフレッシュ落とすんや」言われたとおりにやってみると、フレッシュが渦をまいてコーヒーと混ざっていった。その様子に見とれてしまった。

Yさんの 愛車はマツダが社運を賭けて開発したロータリーエンジンを積んだサバンナクーペ。「 アパートの前に車を停めるときのエンジン音を聞いただけで、Yさんが帰ってきはったのがわかるねん」姉はそういって、幸せそうに笑っていた。
助手席に座らせてもらった私にYさんは、「直角なカーブを曲がるときは、その直前にハンドルのこのへんに手を持ってくるんや。45度くらいのカーブやったらこのへん、Uターンするときはここまで手をもってきて、ほんでぐるっと回す。」Yさんに教えてもらったハンドルの回し方は、18歳で免許をとったあと、公道や山道をブイブイ言わせることになる私の、大切な基本になった。

吸ってたたばこはハイライト。
「一番おいしいのは缶ピーやな。(缶入りピース、今でも売ってるのか?)次はショーホーかな。セブンスターはまずうて吸えへんわ」
こちらも、高校一年生でたばこの味を覚え、私が後にショーホーひと筋になるに至る、重要な参考意見となったことは、今日まで誰にも言えずにいる。


私が思い描いていた“大人”は、自分で稼いだ金で、自分と家族を食わせること、人並みの生活が出来るだけの収入であること、もの知りであること・・・だった。Yさんは、13歳の私の、理想の大人だったのだ。弟には手に負えない姉を、ちゃんとコントロール出来、義弟たちの面倒をよく見てくれるYさんは、私の思い描くとおりの大人だった。

そんなYさんと最近疎遠になっている。
あんな姉をやさしく見守ってくれ、ナマイキ盛りの義弟たちの面倒を見てくれたYさん。最近、盆や正月、時々の親族の集まりに、全然顔を出さなくなったのは、“家庭の事情”によるものだと兄から聞いているけれど、元気にやっておられるんだろうか。


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“スマイルジャパン”の乙女たちが、見事に予選を突破したアイスホッケー平昌オリンピック最終予選。その中継中、アナウンサーがたびたび発した言葉。それが札幌オリンピックの時、ハイライトをくわえたYさんの横顔と、ちょっとハスキーな声を思い出させてくれた。


「自分とこの陣地から打ったパックが、誰も触らんと相手のゴールラインを越えたら“アイシング” 言う反則になんねん。」


gonbe5515





by starforestspring | 2017-02-14 13:16 | 思い出 | Comments(0)

母なる道 ルート66

アメリカ合衆国。シカゴからロスアンジェルス、サンタモニカまで。
ルート66という道があった。

『怒りの葡萄』
『イージーライダー』
『バグダッドカフェ』

これ以外にもこのルートが登場する映画は多いはず。
アメリカ大陸を東から西に横断するこの道は、若い頃の私の憧れの道。

初めて車を手にしたとき私は、「これで、どこへだって行ける」そう思った。

どこか遠いところまで走る。どれくらい時間がかかるか、どれくらいの距離があるか。そんなことを考えず、とにかく走り出す。


長い一本の道をただ走る。
時間を気にせず、距離を気にせず。
走ること。それ自体が目的になっていた頃。

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もう遠い昔のことだけど、オンボロ車を駆って、知らない町を通り過ぎ、知らない町に向かっていったあの頃を懐かしく思い出す。

車と自分とが、バディだったころの話。


gonbe5515
by starforestspring | 2016-12-21 12:59 | 思い出 | Comments(0)

愛と哀しみの喫茶VICTOR 2

ドアを開け、店内に入って空いてた席に座る。
店の中央近く、厨房に近いところ。

アイスコーヒーをオーダーして店内を見渡す。
子供の頃遊んだ公園を、大人になってから訪ねるとその小ささに驚くというけれど・・・この店、こんなに狭かったっけ?

この店にまつわる話をどういうふうに紹介すればいいのだろう。
ハイエナの群れの前に迷い込んでしまった羊の子ども。
その子がどうなるか。私はこの店でそれを知ったのだ。

私は怒っていた。
行き先を確かめもせず、なんの備えもせずにあっけらかんと道に迷ってしまった羊の子どもに。目の前に現れた羊の子どもに対し、迷い込んできた理由を確かめもせず、“美味しそう”ただそれだけしか見なかったハイエナの群れに。

ある夜、店の閉店時刻を待って私は店内に入った。
ハイエナに抗議をするために。店内には私とハイエナとが二人きり。


ですが、わたしもまた、子羊でしかありませんでした。


大人は、
大人というものは、
なんと手強いものなのか、私はその夜知ったのです。

今なら私はハイエナの気持ちがよくわかります。
大人にとって・・・人生のあれもこれもを経験してきた大人にとって、羊の子どもなんてものは、なんの脅威でもなかったのです。羊の子どもに言いたいだけ言わせて、表情を変えず、感情を押し殺してひと言「それがどうしたん?あの娘はワシについてきたんやで」

私は返す言葉を見つけることができなかった。


38年が経ち、私はこの店にもどってきた。
ウエイトレスは、目の前にいる客にそんな過去があったと知るはずもなくオーダーを取りに来て、そしてオーダー通りのものをあたりまえに置いていく。


あの夜、下宿に戻ってラジオをつけると、ジュリーが歌う「勝手にしやがれ」が流れてきた。
大人でもなく、子どもでもない。自分がなにものかもわかっていないくせに、他人の人生に関わろうとした。


あのころ、私はそんな19歳でした。


gonbe5515
by starforestspring | 2016-08-19 21:16 | 思い出 | Comments(0)

愛と哀しみの喫茶VICTOR 1

昨日の記事のとおり、今年は大文字送り火を見ることができませんでした。
滅多に出来ない経験・・と逆にほくそ笑んだ翌日、私たち家族はなぜか梅田におりました。
当初の予定ですと嵐山にいるはずだったのですが・・>竹林を見に。

梅田。
青春を過ごした街、毎日が思い出となった街、梅田。

ウインドーショッピングをしたがるニョーボと娘二人。
そういうのにつきあうのはまっぴらゴメンですし、私も一人であちこち歩きたかったので別行動をとることにしました。


私が毎日歩いていたころとは全然ちがっています。
昔は改札を出たあとエスカレーターを下りると、阪急ブレーブスの試合の途中経過や結果を表すためのスコアボードが常設してありましたし、♪こんにちは こんにちは こちらは阪急三番街♪という歌がいつも流れていたものです>これだけをとっても何十年前なんだというツッコミが聞こえてきそう。


紀伊国屋に入りました。
この店にどれだけお世話になったかしれません。
私が通ってたころに比べると棚や通路はキレイに整頓されています。
昔は雑然という言葉がぴったりの店でした。通路に積み上げた本がはみ出してるなんてあたりまえでしたしね。今は本当にキレイです。入ってすぐに気がついたんですが、富山にある紀伊国屋と雰囲気が同じなんですね。会社の方針として統一されたものなのでしょうが、昔を知るものにとってはちょっと残念な気がしました。>オッサンの繰り言です。流してください。

それにしてもあの広さは本当にありがたいです。立ってるのに疲れて、ちょっと座りたいなあと思っても店の中に椅子はありませんし、店を出た広場にもベンチはありません。紀伊国屋で長逗留をするつもりなら、それなりの準備と工夫が必要のようです。

紀伊国屋を出て、茶屋町口方面に歩きました。
地蔵横丁。なっつかしいですね!バスターミナル、そうそうこの排気ガスの臭い、覚えてますよ。そうしてふと振り返った私の視界に、小さな文字が飛び込んできました。

『VICTOR』

喫茶VICTOR!

まだあったのか!
まだあったのか!

入り口のドアをしばし見つめ、私は中に入りました。
この店に入るのは、38年ぶりでしょう。
あのころ私は10代でした。

おとなへの階段を一歩昇る。
そのきっかけをくれたのは、この店でした。


長くなったので、つづきは次回。



gonbe5515


つづけるほどの内容があるわけではない・・ということは、お詫びしておきます。
by starforestspring | 2016-08-18 18:16 | 思い出 | Comments(0)

something good

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♪So somewhere in my youth or childhood
♪I must have done something good
 
  映画『サウンド・オブ・ミュージック』より  “何かいいこと”




恥の多い人生でした。
思い出すだけで「キャッ」と叫んで穴にもぐり込みたくなる。そんな人生でした。
辛いこともありました。哀しいこともありました。泣いた夜の数は両手両足では足りません。



それでも
私はきっと、なにかいいことをしてきたのでしょう。
自分ではきづかないうちに、誰かの役に立ったり、誰かの力になれたり、そんなことをどこかで、ほんの一回くらいでもしたことがあるのでしょう。


45年ぶりの再会は、そのご褒美なのだと。
そうなのかもしれない・・・いや、きっとそうなのでしょう。


今日は別の意味でアップさせていただく。

♪苦しいことや 楽しいことがあったでしょう
♪生きててよかったと ひとことだけ 聞かせてね

『再会』高石ともやとザ・ナターシャーセブン




gonbe5515
by starforestspring | 2016-07-27 11:26 | 思い出 | Comments(0)

再会

二日間更新を休ませていただきました。
昨日、大切な用事があり、京都に帰っていたのです。
その前日と当日は、心がざわついて、記事を書こうという気持ちにとてもなれませんで。

昨夜遅く、とんぼ返りで家に着いてから飲んだビール(もちろんサントリーモルツ)はおいしかったです。


再会・・・という言葉があります。
ある一定の期間、会うことがなかった人と会う。

ナターシャーセブンの歌『再会』では10年でした。
私の再会は、45年でした。相手は小学校の時の先生。

45年ぶりに会う。その瞬間まで私がどれほど緊張していたか!
45年ぶりに会った。その瞬間から私の心がどれほど凪いでいたか!

声をかけられ、お姿を確認し、近づいて言葉を交わして握手をする。
その時から私は、なんの心配もすることなく、ただ先生の教え子としてそこに存在していればよかったのですから。


思いは時を超える。
そう実感した一日でした。


心の奥のほうに長くくすぶっていたものが、昨日やっと消えました。
これでもういつでも逝ける・・などとは言いませんが(実際のところ、もうひとつくすぶってるのがあるし)宿題のひとつをやりおえた気分です。


あの日、床屋さんで髪を切ってもらいながらふと思いついて始めたブログ。
その“ふと”が、45年間という月日の流れを引き戻してくれました。
このブログに集ってくださった方々のおかげです。
本当に、ありがとうございました。



gonbe5515
by starforestspring | 2016-07-26 12:50 | 思い出 | Comments(2)

はだか電球

NHKFMで、『大阪で生まれた女』を鳥羽一郎さんが歌ってた。鳥羽一郎さんも頑張ってたけどやっぱりこの歌はBOROさんに限ります。ご案内のとおりこの曲のオリジナルは延々34分にものぼる長いもので、歌詞は18番まで続く。その中の一部を抜き出したものがヒットし、今でも大阪人にとって一番なじみの深い曲だそうな。

かぐや姫の『 赤ちょうちん』と同じく、この歌にも“はだか電球”という歌詞がでてきます。
天井からソケットが垂れ下がっていて、そこに電球がついている。
傘もなし。ソケット本体についてるスイッチを使って電気のオンオフをする。
私の下宿の電球もそれでした。>ある年齢以上の方には容易に想像して頂けると思う。


夏は暑くてたまらない。虫は飛んでくるし。
でも冬は暖かくてよかった。

季節を選ぶ電球でしたが、あの明かりの下でのひとり暮らしは、実に何とも。
あれは・・・寂しい明かりでしたね。


40年。
そんな電球の下で暮らしてた時からもうそれだけ経ちます。
私が小学校に入ったのが戦後20年。
その倍の年月を経た昔のことを思い出すのに、遠い目をしたって構いませんよね?


イマドキはLEDだスポットライトだブラケットだ間接照明だと、光もインテリアの重要な要素になっています。明かりが暗闇を消すためのものだったあの頃とはもう全然違います。

ある意味、幸せの象徴・・でしょうか?


そういえば、そんな話があったな・・と記憶をたどって書棚を探ってみました。
太宰治さんの小説『雪の夜の話』の中の水夫のエピソード。
ご存知でしょうか?


さっき私は裸電球を寂しい明かりと書いたけれど、撤回。
明かりに性格はない。
ローソクであれ、裸電球であれ、LEDであれ、その下にいる人々の表情こそが・・。


明かりの下で一人寂しく暮らす青少年たちよ、うつむくな!
明日はまた、明日の太陽がピカピカやねんから!


gonbe5515
by starforestspring | 2016-06-21 21:15 | 思い出 | Comments(0)

三つ子の魂

『三つ子の魂百まで』

「三つ子で生まれた子どもたちは、百才になっても三つ子だってことですよね?」
この言葉を聞いたとき、日本の国語教育の現状と未来を嘆くより先に、言った本人に対する軽い殺意を覚えたのは私です。

昨日、念願の「紅天」を食べました。
30年ぶりくらい?いやもっと?
京都大阪を離れて松山に住まい、その後北陸富山に居を構え、その間一度たりともこいつを食しておりませんでした。

「紅天食べたいなあ・・」
「なにそれ?」
「え?知らん?紅ショウガを天ぷらにしたやつ」
「知らん・・・というか想像出来ん」


金沢生まれ金沢育ちのニョーボの反応がこれ。
私にしてみれば“ゴリ”とか“かぶら寿司”っていう金沢の食べ物が“想像出来ん”ものだったんだけど、家庭内不和を避けるために、口にしないでおいた。>このへん大人。

紅天。
『深夜食堂』母子家庭の味」とか言われてたあれです。
大阪ではサツマイモの天ぷらとかちくわの天ぷらとかと一緒に売られてる食べ物です。

『深夜食堂』で懐かしのあの味を思い出し、久しぶりに食べようと思ったけれど、こちらで売ってるのは千切りの紅ショウガばかりで塊はない。塊が手に入らなければ作りようもない“紅天”、私はネットで購入しましたよ。

したら、本体価格より送料のほうが高いでやんの。笑っちゃいますよね。

が、とにもかくにも紅天、作ってみました。これだ!
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うまい!
サツマイモやレンコンや大葉の天ぷらも一緒に作ったのですが、私はこればかり食べておりました。

紅天。
子供の頃になじんだ味は、大人になってなお、忘れられない味なのです。


三つ子の魂、百まで。
そういう意味なのだよ、青少年。

ニョーボや娘たちになんと言われようが、
本体価格より送料のほうが高くつこうが、
食べたくなったときには遠慮せずに食べることにしよう、そう決意しました。


紅天。
「わかる人にだけわかったらええねん。」


gonbe5515
by starforestspring | 2016-02-25 18:44 | 思い出 | Comments(0)

金木犀

「金木犀がすごいよ!」
ついさっきニョーボからメールがきた。
庭の金木犀が咲いたらしい。
仕事中の私に送ってくるくらいだから、よっぽどなのだろう。

我が家の庭には、何本かの木がある。
それは京都に暮らしていた父が、息子の招請に従い、富山に引っ越すことを受け入れる際に提示した条件のひとつだった。
「育てた庭木も富山に移すこと」
市営団地の一階に住んでたのをいいことに、父はいろんな植物を育てていた。
それらは私たち息子にとってまったく意味のないものであったけれど、父にとってはある意味息子たちよりも大切なもの。
それと一緒でなければ京都を離れない。父はそう言ったのだ。

切迫した声で兄から電話が入ったあの日のことを私は今も忘れない。
「オヤジが倒れた」
その知らせを受けて私は富山京都間を3時間弱で走りきった。
私たち兄弟にとって言いたいことが山ほどある父だったが、いざ倒れたとなるとそこは親子の情。

父が連れてきた木のうち、今も元気なのは金木犀と、白い花を咲かせる名も知らぬもう一本の木。
主亡きことを知ってか知らずか、彼らは毎年かぐわしい香りを放つ花を咲かせ、ぼたっと落ちる白い花を咲かせる。

これといって世話もしていない金木犀と名も知らぬ木。
父が息子の意見を受け入れる条件とした、それほどの木。

ニョーボが驚くほどに、いきなり金木犀が花を咲かせた。
今朝、この木はいつものとおり、緑の葉っぱを茂らせていたはず。
それが一斉に咲いた?

その香りは四方八方に飛び散り、きっと誰かを振り向かせるに違いない。


会うたびに皺が増えていく兄の顔を見るたびに、
毎朝ひげを剃るときに鏡に映る自分の顔を見るたびに、
オヤジと似てきたことをシミジミと悟る私。

親はいつまでも親。
子はいつまでも子。

gonbe5515
by starforestspring | 2015-09-14 23:32 | 思い出 | Comments(0)

友人Mと赤のスイングトップ

タイムマシーンの記事を読み返してMと一緒にいたころを思い出した。

細くてしなやかな髪、理知的な目、人懐っこい笑顔、成績優秀、テニス部、細身、寡黙。
モテるやつでした。

ちなみに私は
太くてくせ毛、たれ目、ひきつった笑い、成績優秀だけどMには負ける、バスケ部落伍、中肉中背、おしゃべり。。

まあ、そういう二人です。

私とMは二年生で同じクラスになり、隣の席になったのです。
私はおしゃべりですが、誰でも彼でも・・というわけではありません。
縁なしメガネの奥の目を光らせ、数学や物理の問題に取り組む彼を見て、「なんやコイツ・・」と思ってました。彼もまた、日本史や古文の問題に嬉々として取り組む私を見て同様に思ってたようです。そういう対極にいたはずの二人でしたが、なにかの拍子に音楽のことで共通項があるのがわかりまして。

私たちの付き合いはカセットテープの貸し借りから始まったのです。。
私の隣の席になり、カセットテープを交換し始めたことが、彼にとっての幸運だったのか不幸の始まりだったのか・・・。それは分かりませんが、それ以降われわれはいつも“つるむ”ようになりました。

Mは実にまじめなやつで。私みたいにタバコは吸ってなかったし、お酒も飲んでなかったはずです。女の子にたいしてもオクテ・・・というか「女なんて・・・」と、鼻にもひっかけないヤツでしたね。モテたのに!私よりはるかにモテたのに!
私もマジメ派に分類される生徒ではありましたが、Mのようにカタブツではなかった。
自分にないものを持ってる相手といるのは、お互いにとって刺激的なことだった、それが対極にいる二人がつるむ理由だったのだと思います。

今でも覚えてる笑えるエピソード。
当時、私は赤のスイングトップを愛用しておりました。
どこに行くにもそれを着てました。
で、どういういきさつか忘れたのですが、それをMに譲ったのです。

それから二三日してMが
「おいgonbe、えらい目におうたわ」
「なんや?」
「親にな、お前はいつからタバコ吸うようになったんや!ってメチャクチャ怒られた」
「あれ?おまえ吸うてへんよな。なんで?」
「おまえのスイングトップ、タバコのにおいがしみついとんねん」

タバコを吸ってないことを親に申し開きすることも大変だったと思いますが、タバコを吸う同級生と友人であることを正当化することも、彼にとっては大変だったと思います。

M、すまんかったな。

まあ、のちに彼もタバコを吸うようになり、私を介してそれまで知らなかった世界に足を踏み入れるようになり。
いや、彼にとっては楽しい経験だったと思いますよ。>たぶん

ただ、彼がずっと思い描いていた未来予想図は、私との遭遇によって微妙に曲がっていったのは間違いないと思います。勉強以外に楽しい事を知らなかったヤツが、勉強以外にもおもしろいことがたくさんあることのを知って、それまでどおりでいられるはずもありませんから。

「オレの人生はおまえのせいで変わってしもた」
彼がそうつぶやいたのはそういうワケだし、至極当然のことなのです。


長い人生の一時期に、最も多感なあのころに、Mという友人を得たことは私にとっての幸運でした。彼はそれまで私が接してきた友人とは別次元の男でした。思慮深く、言葉を選び、余計なことは言わない。かといってボケもかますし、ちゃんとツッコむし。卒業後は別々の道を歩むようになりましたが、のちに彼が教師として母校に凱旋したことを聞いたとき、私はとても嬉しく思いました。担当教科が高校時代彼の得意とした数学や物理ではなく、社会であったというのは、もしかしたら私のせいかもしれません。彼はきっと生徒たちの目線でものを考え指導していく、あの頃私たちが見ていたテレビドラマに出てくるような教師になり、愛されていたに違いないのです。


「おまえのおかげで楽しい高校生活やった」
Mよ、オレはおまえに感謝してんねん。


gonbe5515

ところでMよ。
「オレの人生はおまえのせいで変わってしもた」
そう言うた時おまえの顔、笑ろてなかったか?





by starforestspring | 2015-08-27 10:54 | 思い出 | Comments(0)


タベリストgonbe     よしなしごとつづり


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