カテゴリ:雑感( 965 )

敬老の日

今日は敬老の日。

wikiによると 「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」のが趣旨だそうだ。多年にわたり社会につくして・・という部分、その内容は人によって違うだろうけれど、経験に裏打ちされた言葉には重みがあるし、なにより歩んで来られた日々の積み重ねを思うと、自然に頭が下がってしまう。

赤信号で横断歩道を渡ったり、自転車に乗ってて車道中央に寄ってきたり、車を運転してて信号とか標識とかまるっと無視する・・てことさえなければ、心の底から敬えるのになあと思うのだけど、いやいや、加齢による判断の遅れ、運動能力の低下は避けられないものなのだから、私たちのほうでそれを見越していくべきなのですね。


敬うというのとはちょっと違うかもしれないけれど、これまで私に関わってくださった方々の中には、私が心から感謝している方が何人かいらっしゃる。その方と出会わなければ、私の人生どうなっていたかわからない・・というのは決して大げさではなく、そういう方たちのおかげで私は“救われた”と思っている。

私はいまでも、その方たちのお名前とお顔は記憶しているし、なにかの折には必ず手を合わせ(他界してらっしゃる方もおられるので)感謝の気持ちを伝えている。ご存命で、今はもうお会いすることもなくなった方々は、遠く北陸の地方都市で、私がそんなことをしているなんて、夢にもおもっていらっしゃらないだろう。私の存在じたい覚えていらっしゃらないかもしれないし。


「おかげさまで」
トシをとるにしたがい、この言葉をよく使うようになった。「自分が自分が!」と、 肩肘張って、自分一人の力で生きているつもりだった若い頃、私は「おかげさまで」という言葉を口にしたことはなかったと思う。


今はわかる。いろんな人たちのおかげで、今ここに、私がいる。


そんなことを考えた敬老の日でありました。>敬老の日となんの関係が?というツッコミはなしで。。


gonbe5515




by starforestspring | 2017-09-18 18:55 | 雑感 | Comments(0)

私は人生を60年近く生きているけれど、思い出したくない10年というのがその中にある。
大勢の人に心配をかけたし、迷惑もかけた。アホだったなあと今にして思う。

で、なんでそんなアホが出来てしまったのかを真剣に考えてみる。

幼少期、小学生、中学生・・・。
思い出せば思い出すほど、肩肘張ってたなあと。
自分が頼りだ。自分だけだ・・・と。


そうなってもしかたがなかったと、今でも思えるような環境ではあったのだけど。「あんたら兄妹、よう道を踏みはずさんとこれたもんやなあ」と、しみじみ言われたことがあるし。

私のことを心配していろいろ気に掛けてくれてた人も多かったのだ(主に先生たち)
こっちが知らないだけで、いろいろ心配してくれてた人も多かったはずだ(主に友人たち)
心配してくれてるのがわかってるくせに、知らないふりしてた相手もいた(主に・・いやそのものズバリ父や兄や姉)


日々の暮らしの中で、迷うこと、困ることってそれなりにある。そのくせ私はそういうことを誰かに相談するということをしなかった。頑なと言えばかっこいいかもしれないけれど、自分で抱え込んで自分で解決出来る、そう思い上がっていただけなのだ。


実はなんにもできないくせにね。


ことごとは、それぞれに解決をみるのだけれど、その解決策が一番いいものを選べたかというと、ほとんどがそうではなかったと今ならわかる。若く、ものを知らなかった私が、経験豊かな先生や先輩、友人のところへ行き、考えを述べ、意見を請い、広い視野で未来を見つめていたら、私の人生の舵は、全然違う方向に切られていたと思う。

(誤解しないでいただきたいが、これまでの人生、今の生活に不満があるから、「 あのときああしていれば」と、ほぞを噛んでるのではない)



こんなしょうもないブログにも、若い人がのぞきに来てくれることがあるらしい。今日はそういう人たちに失敗したオッサンが一言余計なお世話をしておく。



道はたくさんある。
道はちゃんと開かれている。
ただ、見えないだけで。

道を隠している霧は吹き飛ばせる。
道を閉ざしているゲートは力を加えれば開くことが出来る。

道のありかを知るために、霧を吹き飛ばすために、ゲートを開くために、その方法をまず自分で探ることは絶対やらなければならないことだけど、わからなかったり、迷ったり、もっと他の道が隠れてる場所をを知りたかったら、この人になら・・という人に尋ねていいんだよ。困ってるって伝えてもいいんだよ。


方向を教わり、距離を教わる。それから歩いていき、考え、悩めばいい。そして最後は自分で決めればいい。


探すか、探そうとしないかだけなんだ。
オジサンは、自分が探して見つけた道だけが道の全部だと思い込んでいたんだ。見つけた道にこだわってしまったんだ。落とし穴に落ちてしまって、這い上がるのに時間がかかったけど、穴から出たあとはなかなかいい道だったのが救いだけどね。

でも思うんだ。隠れた道のありかを知った上で、この道を歩けていれば、心持ちは全然違っただろうなってさ。


人の見識はさまざま。そして世の中は広い。
せっかくなんだから、その広さを体感したほうがおもしろいんじゃないか?



健闘を祈る。



gonbe5515



by starforestspring | 2017-09-16 19:26 | 雑感 | Comments(0)

日本経済活性化への一提言

柿食えば鐘がなるなり法隆寺 それにつけても金のほしさよ

秋の野に人まつ虫の声すなり それにつけても金のほしさよ

ひとり寝る床は草葉にあらねども それにつけても金のほしさよ

「それにつけても金のほしさよ」
上の句がどんなのであっても、それなりの歌になってしむ無敵の下の句。



それにつけても・・
常々思っていたことなのだが、最近の若いモンは、車というものに魅力を感じなくなってるヤツが多いように見受けられる。これだけモノがあふれてる現代で、車にこだわる若者が減っていってるのは、当然のことなのかもしれない。移動の為の一手段と割り切ってしまえば、燃費や居住性を第一に考えるだろうから、ハイオクや2シーター、4人乗りですけど後席に座るのはあきらめてください・・なんていう車たちは、購入リストからはずれて当然だろう。

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私が初めて買った車は箱スカと呼ばれたニッサンスカイライン2000GTだった。・・・って書くと、同世代か、それ以上の世代の方々からは「オォ~」というため息にも似た声がもれてくると思うのだけど、タネを明かせば、会社の先輩が車を買い換えるとき、下取りしてもらえなかったその車を、私に10万で売りつけただけ。カセットじゃなく8トラ、クラッチはしょうもないだじゃれのようにスベりまくり、タイヤはほとんどスリックタイヤ。

小さいながらも自動車整備工場を経営していた友人のところに持っていって、不具合の修理を頼んだら「gonbeさん、この車、10万は高すぎです。1万か2万、いや引き取ってあげるだけ親切ってくらいのもんですよ」と、あきれられた代物だった。

でも、私はGT-Rのほうの伝説は知っていたし、それまで持ったことがなかったマイカーを持つことのほうの喜びが勝って、「1万か2万、いや引き取ってあげるだけ親切」なオンボロでも、10万を出したことを不思議に後悔しなかった。

昭和50年代も後半になっていた当時は、箱スカの販売が終了して10年以上経っており、ケンメリやジャパンも、新車販売のステージから降りていたころ。それでも箱スカは、根強い人気があった。オンボロでも、金食い車でも、箱スカは自分自身と同じだった。


セリカハッチバック、カローラレビン、ソアラ・・。
私の友人たちには、それぞれ好きな車があり、その車でなければならない理由があった。私たちにとって車は単なる移動の為の一手段ではなかった。ファッションであり、財産であり、相棒であり、自分をわかってもらうための表現方法のひとつだった。ローレルやクラウンは「あんなオッサンくさい車・・・」 と、はなから対象外だった。フェアレディを見かけると憧れの視線を送り、シティのデザインの斬新さに感嘆し、シビックの小気味よさにワクワクし、サバンナのじゃじゃ馬ぶりが大好きだった。

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話は少しそれるが・・・
最近街を走ってると、昔私たちが持っていた、“車を運転してる人とその車との一定の関係性” というものが通用しなくなってきていることに気づく。私たちが国道や山間道路をブイブイ言わせていたころ、軽四に乗ってトロトロ走ってる人は近くの農家のおじさんか、あるいは免許をとりたての奥様がただった。ゼットやシルビアには、若い兄ちゃんが横に女のコを乗せて走っていたものだし、ブルーバードやギャランは会社勤めのオジサンたちのものだった。クラウン、ローレルは会社社長や役員さんがエヘンプイと乗るものだったし、ベンツには、ほぼ間違いなくそのスジの人が乗っているので、見かけたら旋回回避がお約束だった。そしてプレジデントやセンチュリーを運転してるのは、白い手袋をはめたお抱え運転手さんと決まっていた。


それが最近はめちゃくちゃ。スポーツカーに乗ってるのはナイスミドルのオジサンってことが多いし、軽四は奥様がたの乗り物とは限らない。セルシオやシーマから降りてくるのが若いお兄ちゃんだったり、時には若葉マークがついてたりする。ベンツだ!と身構えたら、おばあさんが顎を突き出して運転してるし・・・もうなにがなんだか。

早朝の国道や、人気のない山間道路で、ゼットやスカイラインを見かけたら、一緒に遊びたくて追いかけ回していたものだ。先日、私の車の後ろにぴったり鼻を寄せてくるのがいたから「遊びたいんやったら、つきあうでえ」と、S字に突っ込んだら、あっという間にバックミラーから見えなくなるし・・・がっかりだよ。後ろからパッシングしたら・・とか、前の車にぴったりくっついたら・・とか、赤信号で止まってる時に、隣で空ぶかしを繰り返したら・・とか、そういう行為の意味をわかってる人はもう希少種なんだろう。かつて「運転の醍醐味は山道の上り下りですわ」と、車の話になるごとに吹聴して回った身には寂しい限りだ。


若者の車離れは、大きくいえば、日本経済の損失ではないかと思う。「あのクルマがほしい」「あれを買って○○ちゃんを横にのせて・・ムフフ」という願望を叶えるために、かつての若者は額に汗して働いたものだ。だからこそ、夢が実現したときの喜びはひとかたならぬものだったし、その成功体験が次の目標に向かうブースターエンジンにもなったのだ。

当時のトヨタは、「いつかはクラウン」という、実に素晴らしい、クラウンというクルマをこれ以上ない表現で広告に載せ、多くの若者を仕事に向かわせた。それが今や「いつでもクラウン」なのだもの。ガッカリだ。

EUでは電気自動車製造への舵が切られたという記事を昨日の新聞で読んだ。地球の未来に暗雲が漂ってくることがあきらかな今、自動車メーカーとして環境に寄与する車作りは至上命題だろう。しかし同時にメーカーさんたちにお願いしたい。若者の目標となりうる魅力的なクルマづくりにいそしんでいただけないだろうか。若者が車にうつつをぬかすようになると、きっと世の中、明るく元気になるに違いないのだ。


お願いします。


gonbe5515





by starforestspring | 2017-09-15 11:39 | 雑感 | Comments(2)

iPhoneX

昨日、寝室を模様替えしていたら、棚の奥のほうから昔のフォトアルバムが出て来た。それは娘たちが小学校に上がる前のもので、13年前、近くの堤防広場で遊んだ時に撮った写真。ああ、今や大学生になったあの二人にも、こんな時期があったなあと、しばし手を止めて見入った次第。

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iPhoneXがいよいよ販売されるそうな。
Apple信者としては気になるところだが、今回は見送るつもり。
スマホもね、もうこれまでの機能があれば充分だろうと思うので。

私のiPhone7Plusの画面には、いろんなアプリが乗っかっているけれど、使っているのはごくわずか。頻度の順で言うと、電話、カレンダー、Evernote、Safari、時計、カメラ、写真、Music FM、青空文庫・・こんなもん。ああ、雨かしらも、開くな。あれは便利だから。

スマホではなく、携帯電話のみでもいいんじゃないかと考えたこともあったのだけど、上記のアプリは、私の仕事や日常生活には今やなくてはならないものになってるので、そこはやはりiPhoneを使い続けたい。逆にいえば、上記さえあれば、なんの不満もないので、これ以上の高機能、多機能は必要ない。顔認証だとか、動く顔文字とか言われても、食指は動かないわけです。


自分でも意外だったのは、今日の発表があるまで、iPhoneXについて、なんの情報も持っていなかったこと。Apple信者と自称しているわりには、情けないことであります。でもね、正直言えば、今のAppleに、かつてのあふれるほどの魅力を感じなくなってしまったところもあるのです。古い話を持ち出して申し訳ないのですが、漢字Talk7.5.3とか、OpenDocとかを世に問うていたころのAppleは実に面白かった。そう、Appleのやることは、“面白い”という形容詞がぴったりでしたよ。遊び心にあふれ、次になにを見せてくれるのかというワクワク感がいつもありました。今はもう成熟してしまったというか、角がとれて大人になったというか。

時の流れってそんなんですかねえ。。。>さだまさし風に。


そう、そんなもんなんでしょうね。使う人も変わる、技術も変わる、材料も変わる。変わらないほうがおかしいし、変わってこそということを、ちゃんと受け止めなくちゃいけない。

Cyberdogが持っていた、使って楽しい操作性、ClarisWorksの、あれもこれもいっぺんに出来るという利便性、そういうものは、心のアルバムに閉じておき、たまに思い出して遠い目をさせてもらうことにしよう。


それはそれとしてもだ・・・・


iPhone8の立場はどうなるんだろう?
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gonbe5515




by starforestspring | 2017-09-14 11:26 | 雑感 | Comments(0)

分銅一個

アメリカと北朝鮮の緊張関係がまだ続いている。

手が空いたときに、ちょっと検索してみると、両国が戦端を開いたとき、どんな展開になるかがズラズラ出てくる。

アメリカの勝利はまず間違いないところではあるけれど、国境を越えて、北朝鮮軍が韓国に侵攻するとか、ミサイルを闇雲に撃ちまくるとか・・・。

北朝鮮の指導者、そして北朝鮮という国家はこの世から消えるかもしれないけれど、戦う兵士や周辺諸国(もちろん日本はそのリストに載ってる)の国民に膨大な数の犠牲者が出るだろうと。

北朝鮮という国と、大勢の兵士、一般人の命。
かろうじてバランスが取れてる天秤に、分銅をもう一個載せるのかとどまるのか。

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大勢の人の命が心ならずもあの二人に握られてしまってるような気がして、あんまりいい気分じゃない。



gonbe5515





by starforestspring | 2017-09-10 20:14 | 雑感 | Comments(0)

アジア最終予選 対サウジアラビア


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夜中の1時55分から放送開始。
最近、夜10時前には寝てしまう私には、とてもそこまで起きてることが出来ない。まして、試合の内容次第では、そのあと眠れるかどうかもわからない。

というわけで、いつもよりさらにはやくベッドに入り、早朝4時すぎに起きて録画観戦。・・・結果からみれば、いい判断だったと思います。

サウジアラビアはやはり強かった。あのチーム速いし、なにより動きを予測できないのがすごいですね。先のオーストラリア戦に勝っていなくても、結果は同じだったろうと思います。日本が前線から守備で追いかけ回すことが出来たのは、前半の半ばすぎくらいまでだったでしょうか。それ以降は、明らかに動きが落ちた選手がいました。

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中でも本田選手の動き、周りが速いだけに、その緩慢さがひときわ目立ったように思います。相変わらずのロスト、競り負け(スピードの差)はもちろんですが、ボールを持ちすぎてプレーの流れを止めるシーンが幾度もありました。攻撃のときにボールをワンタッチで、あるいはゆっくり回し、相手に隙が生まれるのを待ってからゴールを目指す・・・彼自身が得意とし、かつての代表チームが採用していた戦術のクセから、抜け切れていない、変化できていないように思います。

ここ何試合かを見ていると、ハリルホジッチ監督の目指すところは、高い位置で相手のボールを奪い、短い時間でゴールを目指す・・のように見受けられます。相手ボールに対して、近くにいる選手が厳しく寄せる。ボールを奪ったら、複数の選手がゴールに向かって走る。以前のようにトップ下の選手がボールをじっくり保持し、周囲の選手の自由な動きの中からスペースを作りだし、そこにスルーパスを通してゴールを狙う・・という“組立て”ではないのです。求められるのはただひとつ“スピード”

であれば、技術、センスは優れていても、走れない本田選手は、このチームの戦術に合わないわけです。というより、本田選手にこの戦術への適応を求めるのは、酷でしょう。


敗戦の中でも、原口、井手口の頑張りは目を見張るものがありました。彼らは実によく走った。酒井宏も、サイドの攻めを早くにつぶしていたし、抜かれても必死で追いかけ回していました。柴崎は・・・彼も本田タイプなのでしょうか?ただ、代表での試合は久しぶりですし、他選手との連携という部分ではまだまだだと思うので、慣れてきたらどうなるかというところを楽しみにしたいと思います。

今日の敗戦は、サウジのスピードに90分渡り合えなかったこと。これでしょう。でも相手ボールを離れたところでじっと見つめているのではなく、近づいて果敢に取りに行く姿勢、奪ったボールを相手ゴールに向けて蹴り出す積極性は、以前にも増して顕著になってきたことを、嬉しく思っています。あとは決定率ですな。FWの中心に誰をおくかが、今後の課題でしょう。私としては大迫に期待。まだあんまり出てない武藤も見てみたい。杉本はもっともっと見てみたい。187cmを生かせるプレーに期待です。岡崎は・・・長い間ありがとうと申し上げたい。



<その他>
短い時間でも、杉本選手を使ってくれたのは嬉しかったし、いいことだと思う。Jリーグで活躍すれば、代表に呼ばれる、試合に出してもらえる・・という、一見当たり前のようなことが、昨今なかなかなかったので。いい励みになるんじゃないでしょうか>Jの選手たち

毎度のことですが、男ばかりのスタジアムは異様に見えました。。。。お国柄をとやかく言うわけにはいきませんが、もう少しなんとかならないものかと思います。

解説の福西さん、誠実なお人柄が窺える優しい口調で丁寧な解説をしてらっしゃいましたが、「遅れる?」「前に出る?」「距離感?」と、語尾を上げた疑問形のようなしゃべり方が、私には耳につきました。昔の(あるいは今も)高校生や若い女性が喋るようなあの口調です。オッサンの私だから気になるのかもしれませんがね。ただ、解説者としては、発言の最後の部分はきっちり締めくくるべきだと思います。アナウンサーの問いかけに対して、解説者が「距離感?」という言葉で発言を終わってしまうのはどうかと思う。


gonbe5515




by starforestspring | 2017-09-06 09:37 | 雑感 | Comments(0)

ずれ

桂枝雀師匠が語られた噺のマクラで、天気予報っていうのは、当たり、はずれのほかに、ずれっていうのがあるそうですわ」というのがあった。どういうことかというと、天気予報で「今日は晴れです。夜半から雨が降るでしょう。」という予報を聞き、「夜までは雨が降らへんねんな」と思って傘を持たずに出かけたら、夕方から雨が降り出し、ずぶ濡れになってしもた。「コラ、気象庁!どういうことやねん!予報、はずれとるやないか!」と、怒鳴り込んでも、気象庁の人曰く「はずれたんやおまへん、ずれたんですわ」

夜になってから降るやろうと思ってた雨が、予測よりちょっと早く夕方になって降った。これは夜半に降るはずやった雨が、夕方に“ずれた”だけで、実際予測したとおり雨は降ったわけやから、はずれたんやない・・と。

師匠は続けて「そやけど、こんなん言われても困りますわな。我々は、要するに傘がいるかいらんかっちゅうことを気にしとるわけですから、ずれただけですっちゅうて言われても納得できませんわ」このあと、師匠お得意の、海の中に生まれた生命体が、魚類から両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、やがて人類にいたる抱腹絶倒のマクラにつながるのだけど、私が一番笑ったのは「ここだけの話にしといてほしいんですけど、気象庁が計画してたソフトボール大会が、雨で流れたそうですわ・・・」

ずれっていうのは、おもしろいもんで。


9月。いよいよ私はこの月で、59才になり、定年まであと1年(ウチの会社の定年はありがたいことに60才なんです)を残すのみになる。
このトシになって思うのは、自分の意識と体との“ずれ”。
これ、私と同じくらいか、上の方にはわかってもらえると思うのですが、意識と体とのずれって、すごすぎません?


自分はまだまだ若いつもりでも、体がついてこない。
自分はまだまだそれなりと思っていても、周りはそう思っていない。
若いモンには負けねえと思っていても、あっさり負けてしまう部分がある。
自分では当然と思ってるジーパン姿を、なんだか細い目で見られてしまう。


意識と体とのずれ、自分にも、他人にも、すごく感じる今日この頃。ある意味、冷酷ですよ。自分が思ってるのと、周りが思ってるレベルの違いが。


先日、駅前の広場で人を待っておりました。こういう性格ですから、待ち合わせ時刻の15分前には現地に到着しとったわけですが、腐っても駅前、人通りはそれなりにあります。乗換に利用しているのだろう高校生、駅前のモニュメントで人待ち顔の男性や女性は数知れず。そういう人たちのなかで私の目をひいたのは、手押し車に寄りかかるように駅に向かうおばあさんや、ハンチングをかぶったおじいさんの3歩後ろをついていくおばあさん、それからたぶん脳梗塞のリハビリ中なんだろうなあと思われる半身をひきずって歩いておられるおじいさん。

そういう方々に対して、心の中で手を合わせてる自分が、意外というかなるほどというか。みなさん、頑張ってこられたんだなと。


60才。まだ来年の話なんですけど、壮年と老年を分けるはざまなんでしょうか、このトシは。舞台を去る決心がついた俳優のような、来し方行く末を考えるような、なんだかわからない複雑な思いにとらわれた今日の9月3日でございます。


gonbe5515











by starforestspring | 2017-09-03 20:51 | 雑感 | Comments(0)

道はロシアへ

ハリルジャパン、ワールドカップ出場権獲得、おめでとう。
仕事を終えて家に帰ったのがちょうど選手が通路に整列してるとき。大急ぎでシャワーを浴びてビールとグラスを持ってテレビ前観覧席に着席。それからはおもしろかったねえ。久々に面白いと思った、代表のサッカーが。

オーストラリアが攻めの形をほとんど作れなかったのでは?前からの守備がしっかりしていたもの。追いかけ回す・・というのは、これですな。よほどオーストラリアチームを研究、分析していたのだろうと思う。

スターティングメンバーの中に、久保、原口、岡崎の名前がなく、井手口、佐藤の名前を見つけたファンの中には、私と同様「オイオイ、大丈夫かよ・・」と、不安に襲われた方もいたはず。告白すると、私はさらに「井手口、なんだよそのヒゲの形は・・ とツッコミを入れていた。

その二人がそれぞれ効果的な時間帯にゴールネットを揺らすのだから、おもしろい。
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後出しじゃんけんを承知で言うなら、香川や本田、岡崎のように、これまで何度かオーストラリアと戦った経験がある選手は、“ 経験が邪魔をする” ってことになっていたかもしれない。オーストラリアからしても、知ってる本田や知ってる香川より、「 誰?」と、なにをしてくるかわからない井手口のほうがイヤだったのかも。いずれにしろ、 “ネーム” “実績” ではなく、自身が考えたゲームプランと選手の仕上がり具合、能力とを見極めた采配、ハリルホジッチ監督は褒められていい。なにしろ「サッカーは結果」なので。


『お気楽な人』という記事で書いた

「8月31日のオーストラリア戦で引き分けもしくは負けた場合、最後のサウジ戦が天王山になります。今後20年の日本サッカーを考えた場合、そういう展開こそ強化に結びつく特効薬になるのではないかと愚考する次第。

のような形での特効薬を得ることは出来なかった。悲しんでいいのか喜んでいいのか。でも予選突破の経験、本戦での強豪国との対戦も、いい薬になるのは間違いないはず。

グループBでの残る1チームは、オーストラリア、サウジの争い。オーストラリアは、まず間違いなく勝てるタイが相手。絶対勝たなくてはならない、しかも3点くらいとって。オーストラリアが勝つ以上、サウジも日本に勝たなければ、ロシアへの道は狭められるので必死のはず。日程表をみると、オーストラリア対タイの試合が終わってから日本対サウジになるらしい。オーストラリアの結果次第で、サウジアラビアは目標を決められるということだ

出場を決めた日本が最終戦にどう臨むのか。スタメン選考や戦い方など、楽しみに見守りたいと思う。


gonbe5515


昨日のビール&ウイスキーはおいしかったなあ。。。





by starforestspring | 2017-09-01 14:56 | 雑感 | Comments(0)

『漂うブログ』2

昨日のつづきです。


翻って自分のことを考えてみる。
ブログを始めて9年。調べてみたら、書いた記事は2,805件あった。もし私になにかあったら、このブログはそれだけの記事を抱えたまま、この住所で浮かび続けることになる。いつか「ブログ」という情報発信のためのツールが誰にも振り向かれなくなったとき、このブログは消されてしまうかもしれない。あるいは家主であるexciteさんが、何かの基準を適用して、消去してしまうかもしれない。書き始めた最初のころは、こんなこと考えもしなかった。


さすがに9年続けると、ブログ更新はごはんを食べたりトイレに行ったりと同じレベルの行為となってくる。「無駄に律儀な毎日更新」を心がけてはいるけれど、やっつけの文章しか書けないのなら書かない方がマシ。そんなときはさっさと布団をかぶって寝てしまうようにしている。

まあ、そんなことはどうでもよくて、2,805件の今後である。いつだったか忘れたけれど、ブログを本にしてくれるサービスを見つけて、自分の記事の数から試算してみたら10万だか20万だかになるのがわかって尻込みしてしまったことを覚えている。先のブログ主さんのブログなど、もし「本にして残したいので、賛助金を」なんて言い出す人がおられたら、少ないながらも出来る範囲の金額を提供したいと思うのだけど、こと自分のことになると、日々汲々としている我が家の(というか私の)懐具合で、ブログを本にするのに10万だ20万だと出せるはずもない。

自分の書いた文章が、後世に残すに足るものだと言っているのではなく、単純にニョーボや娘たちへの遺言というか、「おまえのダンナ(父親)は、こんなこと考えてたんだよ。」と、知っておいてもらいたい願望が、2805件を振り返ったとき、正直ある。


ブログを始めるとき、自分がブログを書いてることを、友人知人、同僚等、私を知ってる人たちには絶対に知らせない・・というふうに決めていた。ごく一部の例外はあるにせよ、それはちゃんと守ってきている。だから私は、「あの人が読むかもしれないから」という理由で表現に手心を加える必要はなかったし、自分の立ち位置は旗幟鮮明を心がけることが出来た。たとえばカテゴリー『それでいいのか日本人』は、私の考え方、ものの見方などが最もわかりやすく出ている記事ばかりだが、私の兄がもし読んだら卒倒しかねない。寛大なる兄は、私の言葉を海のように深い心で受け止めてくれるに違いないのだが、子供のころから兄に世話になりっぱなしの不肖の弟としては、正直なところ兄の心理的葛藤は出来ることなら避けたい。

もし兄にこのブログのことを知らせていたら、あそこの記事は書けなかったろう。思っていることを隠す、書けないブログだったとしたら、きっと早い時期に私は投げ出していたにちがいないのだ。

私が楽しみにしていたブログの主さんは、膨大な記事のブログを残して川を渡ってしまわれた。彼もきっと自分がいなくなったあとの自分のブログの扱いについて考えを巡らせたことがあるはず。残してほしい、削除してほしいという希望を誰かに伝えておられたのなら、それはもうとっくに実行されているはず。今現在削除されていないということは、積極的か消極的か無責任かは別にして「そのままでほっとけ」ということだったのだろうか。



さて、私はどうするか。ネット宇宙の塵として浮遊を続けさせるか、消してしまうか、それとも別の形にして残すか。そしてそれを誰に託すか。


脳が元気なうちに、結論を出すことにしようと思う。


gonbe5515



by starforestspring | 2017-08-31 17:14 | 雑感 | Comments(0)

今日、久しぶりに虹を見た。



本当かどうか、確かめたわけではないので、眉につばをつけて読んでほしいのだけど、ミッフィーやキティーが“無表情”なのにはわけがあると、何かの本で読んだことがある

もともと、不思議ではあったのだ。なにも読み取れないあの表情。なにを考えてるのか、こっちを見てるのか見てないのかもわからない。なんでこんなのに人気があるんだろうと。しまじろうはたしか笑ってたぞ。スヌーピーやウッドストックや、ライナスには表情があったぞ。あのかわいげのなさはいったいなんだ。

私はずっとそんなふうに思っていた。

ところが、“無表情”であるがゆえに、ミッフィーやキティーは多くの人に(特に子ども)に受け入れられているのだそうだ。嬉しいとき、悲しいとき、怒ってるとき。見つめる側の気持ちによって、無表情のミッフィーやキティから表情がよみとれるのだそうだ。悲しいときは涙を流し、嬉しいときは笑顔(私にはどうしたってあれから笑顔を読み取ることは出来ないが)になって一緒に喜んでくれるのだとか。


月や太陽、星や雲も同じかもしれない。
それ自体に感情の表出は見えないが、見る人の気持ちによって、悲しい月になったり微笑んでる月になったり、夕日が明日への希望に見えることもあれば、絶望の象徴のように見えることもある。月は月で、夕日は夕日でしかないのに、私たちはそのときどきの気持ちで、月や太陽や星や雲に同意を求めてきたのではなかったか。


心を写す鏡。



「ちゃんとやらんとあかんよ」
今日の虹には、そう諭された気がした。


gonbe5515




by starforestspring | 2017-08-18 19:31 | 雑感 | Comments(0)


タベリストgonbe     よしなしごとつづり


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