カテゴリ:映画・ドラマ
- 『白夜行』映画版[ 2012-05-23 18:59 ]
- 『キサラギ』[ 2012-04-25 19:19 ]
- 梅ちゃん、合格おめでとう![ 2012-04-23 20:04 ]
- 『梅ちゃん先生』[ 2012-04-21 20:45 ]
- がんばっていきまっしょい[ 2012-04-17 18:54 ]
- 『マリアさまが見てる』[ 2012-04-16 20:29 ]
- VOiCE[ 2012-04-02 23:23 ]
- 『ライアーゲーム 再生』[ 2012-03-07 18:04 ]
- ケータイ小説家の愛はどこに?[ 2012-02-27 20:53 ]
- 『ケータイ小説家の愛』[ 2012-02-26 15:27 ]
『白夜行』映画版
今日、ついに見ました。

私は原作を読んでますから、脳内補完してストーリーをつなげることが出来ましたが、読んでない方にはよくわからない部分が多いのではないでしょうか。
まず中学時代のエピソード、都子が襲われるにいたる部分と、それにからまる秋吉と菊池の存在がはしょられていたような気がします。
原作のほうでは、あの辺から雪穂の周りで起きる事件と雪穂とが関係しているのではないかという疑いが読む側に起きてくるのですが、映画では単なる偶然にしか思えません。
それから原作に出てくる登場人物が“統合”されたりカットされたりしていますね。
残念だったのは、友彦が出てこないこと。私は彼にけっこう感情移入して原作を読んでいたので、残念でした。
映画という限られた時間の中に収めるのですから、統合するところ、カットするところがあるのはやむを得ないことだと思いますが、この作品についてはその取捨選択が成功しているように思えません。
原作のキモでもある、“亮司と雪穂の見えないけれど見えてくる糸”というものが、エピソードの積み重ねからではなく、見る物の想像力に依存しているところが一番の問題ではないでしょうか。
そういう意味で長編であるがゆえに、映画化するには無理のあった原作だったように思います。
あと、笹垣が最後に亮司に語りかけるシーン。
「いやあ、それはないでしょう」と。
笹垣さん、あなたそんなふうに全然見えなかったじゃない。
退職してからもずっと二人を追い続けてきたその行動を、私は刑事としての執念と受け止めていたのですが、亮司に対する愛だったのですか?
あそこで笹垣さんにあんなセリフを語らせてしまったのは、まったく脚本の失敗だと思います。
感動狙いだったのでしょうか?
身を投げた亮司を血まみれになりながら抱き起こす笹垣さん。
このシーンは父として亮司に向き合いたかった男と雪穂のために罪を重ねてきた男ではなく、追い続けた刑事と、ついにその姿を現した男という関係性でこそ生きたと思います。
松浦の汚らしさはよかったですね。
子役の雪穂さんはすごくよかった。洋介と寺崎の醜悪性を引き立たせる存在感でした。

堀北さんも頑張っていたのでしょうが、残念ながら魔性の女にはなり切れていませんでした。六ちゃんの時は輝いていたのになあ。雪穂はなかなか難しい役どころだと思いますね。こうなると、綾瀬さんの雪穂がどんなのか見てみたい気になってきます。
gonbe5515
セリフを喋る声が小さいのが難聴者にはちょっとツライ。

私は原作を読んでますから、脳内補完してストーリーをつなげることが出来ましたが、読んでない方にはよくわからない部分が多いのではないでしょうか。
まず中学時代のエピソード、都子が襲われるにいたる部分と、それにからまる秋吉と菊池の存在がはしょられていたような気がします。
原作のほうでは、あの辺から雪穂の周りで起きる事件と雪穂とが関係しているのではないかという疑いが読む側に起きてくるのですが、映画では単なる偶然にしか思えません。
それから原作に出てくる登場人物が“統合”されたりカットされたりしていますね。
残念だったのは、友彦が出てこないこと。私は彼にけっこう感情移入して原作を読んでいたので、残念でした。
映画という限られた時間の中に収めるのですから、統合するところ、カットするところがあるのはやむを得ないことだと思いますが、この作品についてはその取捨選択が成功しているように思えません。
原作のキモでもある、“亮司と雪穂の見えないけれど見えてくる糸”というものが、エピソードの積み重ねからではなく、見る物の想像力に依存しているところが一番の問題ではないでしょうか。
そういう意味で長編であるがゆえに、映画化するには無理のあった原作だったように思います。
あと、笹垣が最後に亮司に語りかけるシーン。
「いやあ、それはないでしょう」と。
笹垣さん、あなたそんなふうに全然見えなかったじゃない。
退職してからもずっと二人を追い続けてきたその行動を、私は刑事としての執念と受け止めていたのですが、亮司に対する愛だったのですか?
あそこで笹垣さんにあんなセリフを語らせてしまったのは、まったく脚本の失敗だと思います。
感動狙いだったのでしょうか?
身を投げた亮司を血まみれになりながら抱き起こす笹垣さん。
このシーンは父として亮司に向き合いたかった男と雪穂のために罪を重ねてきた男ではなく、追い続けた刑事と、ついにその姿を現した男という関係性でこそ生きたと思います。
松浦の汚らしさはよかったですね。
子役の雪穂さんはすごくよかった。洋介と寺崎の醜悪性を引き立たせる存在感でした。

堀北さんも頑張っていたのでしょうが、残念ながら魔性の女にはなり切れていませんでした。六ちゃんの時は輝いていたのになあ。雪穂はなかなか難しい役どころだと思いますね。こうなると、綾瀬さんの雪穂がどんなのか見てみたい気になってきます。
gonbe5515
セリフを喋る声が小さいのが難聴者にはちょっとツライ。
『キサラギ』
実に楽しい映画を見ました!
アイドル如月ミキちゃんの1周忌、ネットを介して集まった彼女のファン5人。
最初は軽いノリで始まったこの会が、だんだんヘンな方向に流れていき、会話は渋く空気は重く、次々と明るみにでる新事実、そして告白。
如月ミキは殺された?
その犯人は?
始まってすぐ、家元(小栗旬)が会場のセッティングをしているところ、つぎつぎと到着する参加者を迎え、自己紹介。ネットのファン掲示板、文字のやりとりでしか交流のないお互い同士ですから、顔を見ても名前(ハンドルネーム)が出てこない。安男さん、スネークさん、オダ・ユージさん、そしていちご娘さん(男)。初対面での家元とのやりとりが可笑しい。雑誌の切り抜き、写真、映像、そんなお宝を披露しあって和気あいあいの雰囲気で進んでいくはずが、オダ・ユージのひと言で事態は思わぬ方向へ。。。
小栗旬, 小出恵介香川照之, ユースケ・サンタマリア, 塚地武雅。
この人たち、こんなに演技が上手かった?と思わせてしまうのは、脚本のおもしろさでしょうか?
狭い部屋の中、会話の中でターゲットが変わり、その人の正体、過去が明かされていく。
テンポがいいし、伏線の回収のしかたも面白い。
明らかになる新事実に大笑いしてしまったりね。
純粋に死を悼む会になるはずが、ある意図を持ってやってきたオダ・ユージのひと言で思わぬ展開になってしまいますが、その展開があったればこそ、会が終わった時、それぞれの心に安堵感というか、気持ちの整理というか、落ち着きが戻る。結果的に良かったのですね、あのひと言は。
もしこういう展開にならずに、ごくあたりまえの思い出話、お宝披露会で終わっていたら(もちろんその場合、こういう映画にはなってないわけですが)来たときと同じ状況で帰っていたわけで。心のもやもやを残したまままた日常に戻らなければならなかった。そしてそれは多分一生引きずったままになっていたことでしょう。
単なるコメディーリリーフかと思わせていた塚地さんが実は・・の時は大笑いしましたね。思いもよらない展開って、これですよ。香川さんのときもそう。
ただ、如月ミキちゃんが、最後にロングビーチでステージを見せてくれるのですが、それまでずっと彼女がボンヤリとした存在として進んできたのに、あそこでそのものずばりを見せられるということにちょっと割りきれないところがありました。5人の踊りは楽しませてもらいましたので、そのためだったということで納得はしています。


私には、文句なく面白い映画でした。
gonbe5515
唯一納得出来なかったのは、最後の最後、宍戸錠さんが登場する場面はいらなかったなと。
ああいうラストでまとめておきながら、またぶり返すのは解せません。
このへんはご覧になった方々の意見を伺いたいところです。
アイドル如月ミキちゃんの1周忌、ネットを介して集まった彼女のファン5人。
最初は軽いノリで始まったこの会が、だんだんヘンな方向に流れていき、会話は渋く空気は重く、次々と明るみにでる新事実、そして告白。
如月ミキは殺された?
その犯人は?
始まってすぐ、家元(小栗旬)が会場のセッティングをしているところ、つぎつぎと到着する参加者を迎え、自己紹介。ネットのファン掲示板、文字のやりとりでしか交流のないお互い同士ですから、顔を見ても名前(ハンドルネーム)が出てこない。安男さん、スネークさん、オダ・ユージさん、そしていちご娘さん(男)。初対面での家元とのやりとりが可笑しい。雑誌の切り抜き、写真、映像、そんなお宝を披露しあって和気あいあいの雰囲気で進んでいくはずが、オダ・ユージのひと言で事態は思わぬ方向へ。。。
小栗旬, 小出恵介香川照之, ユースケ・サンタマリア, 塚地武雅。
この人たち、こんなに演技が上手かった?と思わせてしまうのは、脚本のおもしろさでしょうか?
狭い部屋の中、会話の中でターゲットが変わり、その人の正体、過去が明かされていく。
テンポがいいし、伏線の回収のしかたも面白い。
明らかになる新事実に大笑いしてしまったりね。
純粋に死を悼む会になるはずが、ある意図を持ってやってきたオダ・ユージのひと言で思わぬ展開になってしまいますが、その展開があったればこそ、会が終わった時、それぞれの心に安堵感というか、気持ちの整理というか、落ち着きが戻る。結果的に良かったのですね、あのひと言は。
もしこういう展開にならずに、ごくあたりまえの思い出話、お宝披露会で終わっていたら(もちろんその場合、こういう映画にはなってないわけですが)来たときと同じ状況で帰っていたわけで。心のもやもやを残したまままた日常に戻らなければならなかった。そしてそれは多分一生引きずったままになっていたことでしょう。
単なるコメディーリリーフかと思わせていた塚地さんが実は・・の時は大笑いしましたね。思いもよらない展開って、これですよ。香川さんのときもそう。
ただ、如月ミキちゃんが、最後にロングビーチでステージを見せてくれるのですが、それまでずっと彼女がボンヤリとした存在として進んできたのに、あそこでそのものずばりを見せられるということにちょっと割りきれないところがありました。5人の踊りは楽しませてもらいましたので、そのためだったということで納得はしています。


私には、文句なく面白い映画でした。
gonbe5515
唯一納得出来なかったのは、最後の最後、宍戸錠さんが登場する場面はいらなかったなと。
ああいうラストでまとめておきながら、またぶり返すのは解せません。
このへんはご覧になった方々の意見を伺いたいところです。
梅ちゃん、合格おめでとう!
1回転ひねりを入れてきましたね。
まさか1と7を見間違えるとは。
いや、私もあそこは普通に1に見えてしまったんですけどね。
でももしあそこで沢田さんに声をかけてもらえなければ、トボトボと家路について、お父さんに「だから言っただろう!それをおまえは・・」なんて言われ、お母さんやおねえさんたちになぐさめられ。。。の図だったんですね、梅ちゃん。
まったく、人生どこに幸運がころがってるかわからんもんです。
#それにしても、合格の数字を書く人は、受験生の人生をもう少し考えて書いてほしい。
「サシスセソ」には笑ってしまいました。
C班に栄光あれ!と応援しておきましょう。
今日もそうでしたけど、ここしばらくでおとうさんのキャラがだんだん変わってきましたね。
結果が心配で早く帰ってくるとか、新聞に集中してるふりして耳をダンボにしてるとか・・。
そういう変化が私が高橋さんに対して持っていた元々の印象に近づいてきてるような気がします。
おだしの染みたお揚げさんみたいです。
gonbe5515
まさか1と7を見間違えるとは。
いや、私もあそこは普通に1に見えてしまったんですけどね。
でももしあそこで沢田さんに声をかけてもらえなければ、トボトボと家路について、お父さんに「だから言っただろう!それをおまえは・・」なんて言われ、お母さんやおねえさんたちになぐさめられ。。。の図だったんですね、梅ちゃん。
まったく、人生どこに幸運がころがってるかわからんもんです。
#それにしても、合格の数字を書く人は、受験生の人生をもう少し考えて書いてほしい。
「サシスセソ」には笑ってしまいました。
C班に栄光あれ!と応援しておきましょう。
今日もそうでしたけど、ここしばらくでおとうさんのキャラがだんだん変わってきましたね。
結果が心配で早く帰ってくるとか、新聞に集中してるふりして耳をダンボにしてるとか・・。
そういう変化が私が高橋さんに対して持っていた元々の印象に近づいてきてるような気がします。
おだしの染みたお揚げさんみたいです。
gonbe5515
『梅ちゃん先生』
なんか風雲急を告げて参りましたよ>私のまわりが。
さて、どうなるんでしょ?>人ごとモード
まあ、そんな個人的なことはさておき。
今朝から梅ちゃんをリアルタイムで見始めました。
ようやく録画分を全部見終わりまして。
堀北さんがやせぎす(ヤナさんのレベルではなく)で、痛々しい感じがして辛かったです。
終戦直後ということを考えればちょうどいいんでしょうか?
今日は試験目前の頑張り、受験、合格発表と、トントンと話が進んでました。
このドラマにしては珍しいような気がします。
いよいよこれからお医者さまとして梅ちゃんの活躍が見られるのでしょう。
これからが本番ですよ>ご覧になってるみなさん。
前回のカーネーションで私が注目したのは、尾野真千子さんと正司照枝さんでした。
この『梅ちゃん先生』においては何をさておいても高橋克実さんでしょう。
いやあ、八嶋さんと一緒にトリビアをやってたときのことをを思えば隔世の感がありますね。
もともと役者さんだったそうです。
今調べてみたらなんと松田優作さんに憧れて役者を目指したとのこと。
82ヘエ。
私この高橋さんがやってらっしゃるお父さんが好きですね。
おかあさんもいい雰囲気ですけど、とにかくお父さんですよ。
これからこのお父さんが、梅ちゃんの前にどれだけの高いハードルを作り、跳ね返す壁を作るのかたのしみです。
>そういう役どころですよね? え? 違うの?
今日のエンディングは気持ち悪かったです、私には。
「あ・・」
の梅ちゃんのつぶやきで、「お!みつけたのか?」と思った瞬間“つづく”ですから。
そのあとの次週予告ではしっかり医専に通ってるところを見せてるんですから、「あ・・」で終わらせる意図がわからない。
梅ちゃんの受験番号を見せたところで終わってほしかった。というより、そこで終わってこそ次週予告が生きてくるだろうと。
みんな梅ちゃんが合格することを知ってはいても、わかってはいますよ。
わかってはいますが、合格した“証拠”を見せてから次に移れよと。。。。
これで月曜日の冒頭で「あ・・」のあと受験番号が大写しになったら、私は怒ります>NHKさん
gonbe5515
さて、どうなるんでしょ?>人ごとモード
まあ、そんな個人的なことはさておき。
今朝から梅ちゃんをリアルタイムで見始めました。
ようやく録画分を全部見終わりまして。
堀北さんがやせぎす(ヤナさんのレベルではなく)で、痛々しい感じがして辛かったです。
終戦直後ということを考えればちょうどいいんでしょうか?
今日は試験目前の頑張り、受験、合格発表と、トントンと話が進んでました。
このドラマにしては珍しいような気がします。
いよいよこれからお医者さまとして梅ちゃんの活躍が見られるのでしょう。
これからが本番ですよ>ご覧になってるみなさん。
前回のカーネーションで私が注目したのは、尾野真千子さんと正司照枝さんでした。
この『梅ちゃん先生』においては何をさておいても高橋克実さんでしょう。
いやあ、八嶋さんと一緒にトリビアをやってたときのことをを思えば隔世の感がありますね。
もともと役者さんだったそうです。
今調べてみたらなんと松田優作さんに憧れて役者を目指したとのこと。
82ヘエ。
私この高橋さんがやってらっしゃるお父さんが好きですね。
おかあさんもいい雰囲気ですけど、とにかくお父さんですよ。
これからこのお父さんが、梅ちゃんの前にどれだけの高いハードルを作り、跳ね返す壁を作るのかたのしみです。
>そういう役どころですよね? え? 違うの?
今日のエンディングは気持ち悪かったです、私には。
「あ・・」
の梅ちゃんのつぶやきで、「お!みつけたのか?」と思った瞬間“つづく”ですから。
そのあとの次週予告ではしっかり医専に通ってるところを見せてるんですから、「あ・・」で終わらせる意図がわからない。
梅ちゃんの受験番号を見せたところで終わってほしかった。というより、そこで終わってこそ次週予告が生きてくるだろうと。
みんな梅ちゃんが合格することを知ってはいても、わかってはいますよ。
わかってはいますが、合格した“証拠”を見せてから次に移れよと。。。。
これで月曜日の冒頭で「あ・・」のあと受験番号が大写しになったら、私は怒ります>NHKさん
gonbe5515
がんばっていきまっしょい
私のiPodに『がんばっていきまっしょい』っていう映画が入っています。
ここ数日、少しずつ見ています。
前に二度書いているんですが、なんだかもう一度書きたくなりました。
遠景に瀬戸内海の海をすべるように進んでいくボート。
手前に、ほうきをオールに見立て、「キャッチ ロー キャッチ ロー・・・」と小さくかけ声をかけながら画面を右から左に移動していく“ヤバネエ”こと篠村悦子。
レンタル屋で棚から抜いた理由は田中麗奈のデビュー作だからというだけの、さしたる期待もなく見始めた映画でしたが、このシーンのような“美しいフレーム”があちこちにちりばめられた素敵な映画でした。
瀬戸内海に望む愛媛県松山市。
そこにある進学校“伊予東高校”になぜだか合格してしまった主人公篠村悦子。
デキのいい姉の影に隠れてしまい、両親からもなんとなくほっておかれ期待もされていないような高校1年生です。
ある日の午後、彼女は“家出”をします。
が、思い直して夕方帰宅してみると、家族の誰も自分がどこに行ってたかを気にしていない。
家出をした、その行為自体に気づいていない。
そんな高校生です。
彼女は入学した進学校で、(たぶん家出の時に見たボートの美しさが理由と思われます)男子部しかないボート部に女子部を作ろうと思い立ちます。
部員集めに奔走し、「新人戦が終わるまで」という理由で集まった4人の仲間たちと一緒に新人戦を目指します。
家庭の中に居場所のなかった悦子。学校においても落ちこぼれ寸前の悦子。
でもボート部の中では、誰もが一目おくリーダーであり、頼りにされる存在です。
そういう悦子の姿を、悦子の両親や、学校の教師はたぶん知らないのでしょうね。
その人のことを知ってる。そう思っていても実はその人のほんの一面でしかないということは当たり前のことです。でもなかなかそれに気づかない。
両親が見ている悦子と女子ボート部での悦子は同じではない。
数学の教師が見ている悦子と関野が見ている悦子とは同じではない。
あたりまえのことでありながら、なかなか気づかないそういうことをこの映画はしっかり提示してくれています。。
ほっとけば単なる「熱血スポコンドラマ」になってしまいかねないストーリーです。途中幼なじみとの淡いロマンスの芽生え?もほんのちょっと描かれたり。。
高校生という、体は大人、心は子供。でも、そのどこかにはもうしっかりしたところもあって・・
そんな不安定な時期の少女たちの生活を淡々と描きながら映画は進んでいきます。
まあ、こうやって書いてみれば、どこにでもあるような、青春ドラマですよ。
ところがこの映画はそういう「ま、こんな感じかな」っていうような予想をちょっと外したものを見せてくれます。
先ほど書いたフレームの美しさは、出色だと思います。
風景をきれいに撮る、きれいに見せる監督として私は故 市川準さんの名前を挙げることができますが、この映画の監督(磯村一路さん)もいい勝負をしてくれます。(この監督の別作品では『雨鱒の川』というのしか見ていませんが、やはり風景はきれいに見せてくれてました)
そしてもうひとつの魅力は出演者たちがしゃべる伊予弁でしょう。
その心地よいのんびりしたリズム!
私は常々、方言をしゃべらせて映画を作るのなら、地元出身者だけにしないと“イタイ”ことになると思っています。ここでしゃべられる伊予弁、地元の人が聴いたら「あれは伊予弁ではない!」って怒り出してしまう・・かもしれないものです。私自身、縁あって松山市に7年間住んでいましたので、伊予弁を聞き慣れた人間です。ですから彼女たちがしゃべるイントネーションや細かい部分の「あれ?」なところはいくつも指摘することが出来ます。
がしかし!それをさしひいても、この映画で語られるセリフのやわらかさ、会話のリズムの穏やかさはこの映画の不思議な魅力になっています。
そしてさらに不思議なことに、いつのまにか私はヤバネエたちを見守る親の目線といいましょうか、彼女たちには存在しなかった先輩の目線といいましょうか、彼女たちを見守る視線でもってこの映画を見ている自分に気がつきました。
そして、そのことこそが、私がこの映画に感動した理由のように思います。
ひたすらオールを漕ぐ、合宿の夜みんなで花火をする、幼なじみの男ともだちの自転車の後ろに乗って家まで送ってもらう。
彼女たち自身はその瞬間瞬間が“青春”と呼ばれるものであることに気づいていない。彼女たちが高校生ではなくなって、分別とか計算とか妥協とか、そういう言葉を知り、使うことを覚えた大人になったとき、初めて「あああの頃が・・」と気づくことになる。
そのことを私はもう知っている。
知ってしまった今の私と、知らなかったかつての私。
同じ私でありながら、二人の私は同じではない。その悔しさ。その切なさ。
決勝レースでの5人のがんばり、オールから落ちる水滴、はねる水しぶき、ヒメの「スパート!」
ゴールしたあとの静寂。
そこに涙が出るほどの感動を覚えたのは、今、オールを漕いでる彼女たちが感じていることを、今の私には二度と手に入れることが出来ないから。手に入れることが出来ないものを、彼女たちは今手にしているってことを思い知らされるからでしょう。
この映画は大筋では一人の少女の成長物語。
挑戦、挫折、奮起、再挑戦、そして・・・。
この続きは映画でみてもらうしかないのですが、ラストの決勝レースは見る人すべてに鳥肌を立たせる名シーンだと思います。
「あたし、ボートがないとなにもないんです」
これは“青春”のまっただ中にいる人間にしか言えないセリフとです。
「おまえなんか桃子とへらへらしとったらええんじゃ!」っていうセリフもね。
・・・ご覧になってない方に、是非とも見ていただきたくなってしまいました。

gonbe5515
ボート部の女子は、あんなに華奢なはずがない・・とか、復帰してすぐに整調にもどれるはずがない・・とかいうツッコミはご遠慮いただきます。
そうそう、中嶋朋子さんがやる気のないコーチ役で出てきます。あの蛍ちゃんがこうなるのか・・と感慨深く見させてもらいました。
ボート部の練習場は伊予鉄港山駅のそばという設定。カンチとリカの『東京ラブストーリー』の最終回で有名になる『梅津寺駅』の隣の駅です。この駅は私自身にも思い出深い駅であります。
そのほか、『伊予鉄バッティングセンター』『石手寺』『道後温泉』などご当地ものならではのロケ地設定もちゃんと入っています。
主題歌「オギヨディオラ」もいい曲です。
ここ数日、少しずつ見ています。
前に二度書いているんですが、なんだかもう一度書きたくなりました。
遠景に瀬戸内海の海をすべるように進んでいくボート。
手前に、ほうきをオールに見立て、「キャッチ ロー キャッチ ロー・・・」と小さくかけ声をかけながら画面を右から左に移動していく“ヤバネエ”こと篠村悦子。
レンタル屋で棚から抜いた理由は田中麗奈のデビュー作だからというだけの、さしたる期待もなく見始めた映画でしたが、このシーンのような“美しいフレーム”があちこちにちりばめられた素敵な映画でした。
瀬戸内海に望む愛媛県松山市。
そこにある進学校“伊予東高校”になぜだか合格してしまった主人公篠村悦子。
デキのいい姉の影に隠れてしまい、両親からもなんとなくほっておかれ期待もされていないような高校1年生です。
ある日の午後、彼女は“家出”をします。
が、思い直して夕方帰宅してみると、家族の誰も自分がどこに行ってたかを気にしていない。
家出をした、その行為自体に気づいていない。
そんな高校生です。
彼女は入学した進学校で、(たぶん家出の時に見たボートの美しさが理由と思われます)男子部しかないボート部に女子部を作ろうと思い立ちます。
部員集めに奔走し、「新人戦が終わるまで」という理由で集まった4人の仲間たちと一緒に新人戦を目指します。
家庭の中に居場所のなかった悦子。学校においても落ちこぼれ寸前の悦子。
でもボート部の中では、誰もが一目おくリーダーであり、頼りにされる存在です。
そういう悦子の姿を、悦子の両親や、学校の教師はたぶん知らないのでしょうね。
その人のことを知ってる。そう思っていても実はその人のほんの一面でしかないということは当たり前のことです。でもなかなかそれに気づかない。
両親が見ている悦子と女子ボート部での悦子は同じではない。
数学の教師が見ている悦子と関野が見ている悦子とは同じではない。
あたりまえのことでありながら、なかなか気づかないそういうことをこの映画はしっかり提示してくれています。。
ほっとけば単なる「熱血スポコンドラマ」になってしまいかねないストーリーです。途中幼なじみとの淡いロマンスの芽生え?もほんのちょっと描かれたり。。
高校生という、体は大人、心は子供。でも、そのどこかにはもうしっかりしたところもあって・・
そんな不安定な時期の少女たちの生活を淡々と描きながら映画は進んでいきます。
まあ、こうやって書いてみれば、どこにでもあるような、青春ドラマですよ。
ところがこの映画はそういう「ま、こんな感じかな」っていうような予想をちょっと外したものを見せてくれます。
先ほど書いたフレームの美しさは、出色だと思います。
風景をきれいに撮る、きれいに見せる監督として私は故 市川準さんの名前を挙げることができますが、この映画の監督(磯村一路さん)もいい勝負をしてくれます。(この監督の別作品では『雨鱒の川』というのしか見ていませんが、やはり風景はきれいに見せてくれてました)
そしてもうひとつの魅力は出演者たちがしゃべる伊予弁でしょう。
その心地よいのんびりしたリズム!
私は常々、方言をしゃべらせて映画を作るのなら、地元出身者だけにしないと“イタイ”ことになると思っています。ここでしゃべられる伊予弁、地元の人が聴いたら「あれは伊予弁ではない!」って怒り出してしまう・・かもしれないものです。私自身、縁あって松山市に7年間住んでいましたので、伊予弁を聞き慣れた人間です。ですから彼女たちがしゃべるイントネーションや細かい部分の「あれ?」なところはいくつも指摘することが出来ます。
がしかし!それをさしひいても、この映画で語られるセリフのやわらかさ、会話のリズムの穏やかさはこの映画の不思議な魅力になっています。
そしてさらに不思議なことに、いつのまにか私はヤバネエたちを見守る親の目線といいましょうか、彼女たちには存在しなかった先輩の目線といいましょうか、彼女たちを見守る視線でもってこの映画を見ている自分に気がつきました。
そして、そのことこそが、私がこの映画に感動した理由のように思います。
ひたすらオールを漕ぐ、合宿の夜みんなで花火をする、幼なじみの男ともだちの自転車の後ろに乗って家まで送ってもらう。
彼女たち自身はその瞬間瞬間が“青春”と呼ばれるものであることに気づいていない。彼女たちが高校生ではなくなって、分別とか計算とか妥協とか、そういう言葉を知り、使うことを覚えた大人になったとき、初めて「あああの頃が・・」と気づくことになる。
そのことを私はもう知っている。
知ってしまった今の私と、知らなかったかつての私。
同じ私でありながら、二人の私は同じではない。その悔しさ。その切なさ。
決勝レースでの5人のがんばり、オールから落ちる水滴、はねる水しぶき、ヒメの「スパート!」
ゴールしたあとの静寂。
そこに涙が出るほどの感動を覚えたのは、今、オールを漕いでる彼女たちが感じていることを、今の私には二度と手に入れることが出来ないから。手に入れることが出来ないものを、彼女たちは今手にしているってことを思い知らされるからでしょう。
この映画は大筋では一人の少女の成長物語。
挑戦、挫折、奮起、再挑戦、そして・・・。
この続きは映画でみてもらうしかないのですが、ラストの決勝レースは見る人すべてに鳥肌を立たせる名シーンだと思います。
「あたし、ボートがないとなにもないんです」
これは“青春”のまっただ中にいる人間にしか言えないセリフとです。
「おまえなんか桃子とへらへらしとったらええんじゃ!」っていうセリフもね。
・・・ご覧になってない方に、是非とも見ていただきたくなってしまいました。

gonbe5515
ボート部の女子は、あんなに華奢なはずがない・・とか、復帰してすぐに整調にもどれるはずがない・・とかいうツッコミはご遠慮いただきます。
そうそう、中嶋朋子さんがやる気のないコーチ役で出てきます。あの蛍ちゃんがこうなるのか・・と感慨深く見させてもらいました。
ボート部の練習場は伊予鉄港山駅のそばという設定。カンチとリカの『東京ラブストーリー』の最終回で有名になる『梅津寺駅』の隣の駅です。この駅は私自身にも思い出深い駅であります。
そのほか、『伊予鉄バッティングセンター』『石手寺』『道後温泉』などご当地ものならではのロケ地設定もちゃんと入っています。
主題歌「オギヨディオラ」もいい曲です。
『マリアさまが見てる』

なかなか“インタレスティング”な映画を見させてもらった。
それが見終わったあとの率直な感想です。
私がこの映画を見るにあたりかわたさんは若干の懸念を表明しておられましたが。。。
なんのなんの、川原泉大先生のファンであり、名作『笑う大天使(ミカエル)』の舞台“聖ミカエル学園”における三人の女学生の活躍を知っている身にとって、大変うれしい映画でありました。
なによりリリアン女学院において交わされる挨拶が
「ごきげんよう」
であったことに、私は狂喜乱舞いたしましたですよ。
ミカエル学園以外にもこの挨拶があたりまえに交わされる学校があったなんて!
さて映画です。
私は原作を読んでいませんので、実写版での印象しか話せません。
思うにこの映画は、自分自身の“青い時代”を、現在の自分から振り返る人と、あの頃の自分に戻って振り返ることが出来る人とでまったく違う印象を与えることになると思われます。
“青い時代”
大人となった現在からみれば、少々はにかんでしまうような時代であったに違いないのです。
でももう二度とはもどれない貴重な時代でもありました。
リリアン女学院において、「ごきげんよう」と挨拶を交わしていた生徒達が卒業し、就職し、結婚し・・。それでもなお、あのころと同じように「ごきげんよう」と挨拶を交わす毎日をすごしているのかどうか?
鞄を足下に丁寧に置き、マリア像に向かって手を合わせ祈りを捧げる。
主婦となり、子供を持ってもなお、あの頃と同じようにマリア像に手を合わせ祈りを捧げることを“自然に”行うことが出来るのかどうか。
私は幸か不幸か、“青い時代”を過ごしていた自分が結構好きだったりしますので、この映画における祐巳ちゃんと祥子さんのやりとりなんかをほほえましく見ていることができました。
『山百合会』の様子もね、私にはなつかしかったです。
たかだか17、8才の坊やが、いっぱしの権威と権力を持ったような気になり、同時に大人から見ればそれほど重荷に感じる必要もない“責任”という言葉に押しつぶされそうになっていたあの頃。
私にとっては懐かしい思い出。
薔薇の館のたたずまいがなんともいえず郷愁を誘いましたね。
そんなこんなで自らに感情移入しながら見てしまった『マリア様がみてる』
懐かしい“青い時代”を思い出させてくれた嬉しい映画と言ってもいいでしょう。
『青い時代』を自分がどうとらえているか。
それを計る踏み絵のような映画かもしれません。
途中で挿入される『マリアさまのこころ』は、いい曲ですね。
gonbe5515
重箱の隅をつつくような・・・と思われるかもしれませんが、
祐巳ちゃんのお箸の持ち方

と志摩子ちゃんのパンの食べ方

が、お嬢様とはかけ離れたものだったのが残念です。
また、せっかく丁寧な言葉遣いを試みているにも関わらず、それに一貫性がなかったことも。
丁寧な言葉遣いとそうでない言葉遣いとがひとつのセリフで混在しているのが目立った。
お嬢様の世界を表すならつきつめて欲しかった。
とことんまで“お嬢様”で徹底されてたら、ある意味“傑作”になってたかもしれません。
VOiCE
『おっさんが見たUSJ』の途中ですが、今日はお休みとさせていただきます。
あしからずご了承ください。>誰も待ってなかったりして・・・
今『VOiCE』(かわたさんの脚本・監督作品)を見終わったところです。
心に沁みる映画を見た。
エンドクレジットが流れ出したときに思ったことはこれですね。
自分の中にある原風景。
普段の暮らしの中で思い出すことはなくなっているのに、記憶の引き出しの奥の方で、なくなることなくずっとそこにあるもの。
そういうものをだれしも持っていて、それのおかげで今があったり、それのせいで今があったりするのでしょうね。
思い出す努力をちょっとしてみたのですが、やっぱり出てきませんでした。>私の原風景
忘れられないシーンっていうのはいくつもあるんですよ。
ひとつひとつに忘れられない記憶がついているし、そこから自分がどう変わったかもわかっているつもり。
でも、引き出しの奥にずっと残っているものもきっとあって、それが自分が知らないうちに自分に影響を及ぼしている。
・・・かもしれない。
・・・なわけはない。
どっちでもいいんです。
不思議なことは、不思議なままであるほうがいい。
映画登場人物も少なく、物語の展開もストレートでよかったと思います。
画面転換(エフェクトってんですか)の手法も、なんか主人公の不安定な状況を表しているように見えたし。
噛み終わったガムの包み紙を森の中に放って捨てる彼氏のシーンが出て、「環境のことを渋沢さんに語らせておきながら、そんなことさせるの?」って不思議に思ったのですが、最後渋沢さんと彼氏が二人でクワガタを捕りに行った朝、吸い終わって土にもみ消し捨てたタバコを、後になって取りに戻らせ、自分のポケットの中に入れさせたシーンへの布石だったのかと納得しました。
出演者のみなさんの演技も自然でしたし、ドアのすき間越しにトイレに突っ伏してる主人公の図を撮ってたり、消したテレビの画面に映ってる主人公の顔を撮ってたりして、私は嬉しかったですね。
ただ、録音のバランスが良くないように思えたのは、私に聴覚障害があるせいでしょうか?
セリフが聞き取りにくかったり、大きすぎたりしたり・・なような気がしました。
といってもそれが本編の良さを損なうものではないことは言うまでもありません。
実家に帰った主人公がご両親とどんな会話を交わしたのか、渋沢さんと主人公はこれからどうなるのか、若いカップルはなんだかんだいいながらこれからも仲良くやっていくのか。
映画を終わったあとに余韻が残るのも心地よいですね。
かわたさん、スタッフのみなさん、おつかれさまでした。
ありがとうございました。
gonbe5515
今日からBSフジで「不毛地帯」の再放送をやっています。
今テレビでやってます。
唐沢くんと多部未華子さんがお風呂帰りに語り合ってるシーンです。
多部未華子さんの長セリフ!
放送時とはまた違う楽しみを持って見られそうです。
あしからずご了承ください。>誰も待ってなかったりして・・・
今『VOiCE』(かわたさんの脚本・監督作品)を見終わったところです。
心に沁みる映画を見た。
エンドクレジットが流れ出したときに思ったことはこれですね。
自分の中にある原風景。
普段の暮らしの中で思い出すことはなくなっているのに、記憶の引き出しの奥の方で、なくなることなくずっとそこにあるもの。
そういうものをだれしも持っていて、それのおかげで今があったり、それのせいで今があったりするのでしょうね。
思い出す努力をちょっとしてみたのですが、やっぱり出てきませんでした。>私の原風景
忘れられないシーンっていうのはいくつもあるんですよ。
ひとつひとつに忘れられない記憶がついているし、そこから自分がどう変わったかもわかっているつもり。
でも、引き出しの奥にずっと残っているものもきっとあって、それが自分が知らないうちに自分に影響を及ぼしている。
・・・かもしれない。
・・・なわけはない。
どっちでもいいんです。
不思議なことは、不思議なままであるほうがいい。
映画登場人物も少なく、物語の展開もストレートでよかったと思います。
画面転換(エフェクトってんですか)の手法も、なんか主人公の不安定な状況を表しているように見えたし。
噛み終わったガムの包み紙を森の中に放って捨てる彼氏のシーンが出て、「環境のことを渋沢さんに語らせておきながら、そんなことさせるの?」って不思議に思ったのですが、最後渋沢さんと彼氏が二人でクワガタを捕りに行った朝、吸い終わって土にもみ消し捨てたタバコを、後になって取りに戻らせ、自分のポケットの中に入れさせたシーンへの布石だったのかと納得しました。
出演者のみなさんの演技も自然でしたし、ドアのすき間越しにトイレに突っ伏してる主人公の図を撮ってたり、消したテレビの画面に映ってる主人公の顔を撮ってたりして、私は嬉しかったですね。
ただ、録音のバランスが良くないように思えたのは、私に聴覚障害があるせいでしょうか?
セリフが聞き取りにくかったり、大きすぎたりしたり・・なような気がしました。
といってもそれが本編の良さを損なうものではないことは言うまでもありません。
実家に帰った主人公がご両親とどんな会話を交わしたのか、渋沢さんと主人公はこれからどうなるのか、若いカップルはなんだかんだいいながらこれからも仲良くやっていくのか。
映画を終わったあとに余韻が残るのも心地よいですね。
かわたさん、スタッフのみなさん、おつかれさまでした。
ありがとうございました。
gonbe5515
今日からBSフジで「不毛地帯」の再放送をやっています。
今テレビでやってます。
唐沢くんと多部未華子さんがお風呂帰りに語り合ってるシーンです。
多部未華子さんの長セリフ!
放送時とはまた違う楽しみを持って見られそうです。
『ライアーゲーム 再生』

観てきました。楽しかったです。
映画が始まる前にパンフを買い、人物設定も読みました。
ゲームのルールについても繰り返し頭の中にいれました。
そういう予習が効いてか、前作『ファイナルステージ』に比べると入りやすかったです。
また、ゲームのルール自体も格段に分かりやすくかつ納得しやすかったです。
自分が理解できてないのに、周りのみんなはどんどん先に進んでいく・・・そんな悲しい落ちこぼれみたいな気分を味わうこともなく、ゲーム参加者と並んで進んでいくことができたと思います。これって、大切なことですよ。自慢じゃないですけど(っていうか自慢することじゃないですけど)私、前作では完全に置いていかれましたから。で、想像するに私と同じような疎外感を持った人は全国に結構な数いたと思うのです。
映画を観ているのに映画がわからない。
これ以上の悲しいことがあるでしょうか?
そういう意味で、前作に比べて本作は、観客により親切な映画になってると思います。
さて、我らの太陽、多部未華子さん。
本作の出演者の中で唯一“フツーの人”を演じていました。
“フツーの人”が“フツーでない人”たちの中にいて、“フツー”の行動をとるとどうなるか。
感情の揺れ、不安感、行動力。
ちょっと出来のいいフツーの女子大生の味を、多部未華子さんは実にうまく表現されていたと思います。周りがみんな“フツーでない人”たちばかりということもあり、フツーの女子大生としての表情の変化、態度の変化、喋りの変化・・そういう部分が多部未華子さんの演技を通して観るものに分かりやすく提示されていました。これはまさしく多部未華子さんという女優の力量のなせる技だと思います。
ユウが秋山を裏切るシーンが私にとってのベストシーンでした。

ユウがなぜ裏切ることにしたのかを説明しているシーン。
このシーンのとき、私はなぜだか『つばさ』での
「いえ・・・・優花ちゃんと自分が重なるんです」
を思い出していました。
真瀬とのやり取りの中で、つばさが流す一筋の涙。あのシーンがね、鮮明に思い出されました。
また、この裏切り直前に、投票所に入ってくるときのユウ。
無言で、硬い表情で、すこしうつむき加減で秋山国のみんなとはいってくるのですが、この歩き姿をみただけで、「あ、なんかやったのか?」って思わせてくれました。それ以前にもその兆候を表すショットがありましたが、あの歩きのシーンは観客に“わからせる”という意味で秀逸だったと思います。
かわたさんのレビューに
>喜劇として観ればけっこう楽しめる
っていうのがありました。これは私にとっては目からウロコでしたね、いやまさに。
そう!割り切って観ればいいんですよ。そういうもんだと。
あの大げさなリアクションも、無駄に長すぎる“間”も、やたら大きな声で喋るセリフも!
いや、ホントに助かりました。最初から漫画だと思えばいいんですよね。現実世界だと思うから腹が立つんです。この言葉のおかげで私は本作を見ている間中、神経を逆なでされることはなかったのですからほんとに感謝です。
それからもうひとつ、かわたさんのレビューから拝借
>漫画世界にリアルな人間を違和感なく存在させる
多部未華子さんは、その漫画世界とリアル世界という、本来混ざることのない別々のものの間に自分の体をはめ込み、右手を漫画世界、左手をリアル世界につないで二つの世界の境界を見事にぼやかせていたと思います。
そしてそれがこの映画の成功(と私は思っていますが)につながった一つの要因だと思います。
二転三転、四転五転。あらゆる部分が布石になっていて、「あ、そういうことだったのか」とひざをたたかせる展開は見事でした。
特に「A案がダメだったときのB案」には完全に嵌められました。
そんなんありかよ!っていうのと、だまされたことが気持ちいいっていうのと。
ああ、それと。
最後に桐生がひとことつぶやきます。>なにを言ったかは劇場でご確認ください。
「それを言っちゃおしまいだろう!」って思うんですが、よくよく考えてみるとそうつぶやけること自体、本来あり得ないことなんですよね、このゲームにおいては。
そういう展開に持ち込んだ、引っ張りこんだ篠宮ユウのキャラクター。
裏切りも、信頼も、心遣いも、落胆も、そして希望も。
フツーの人としての篠宮ユウの行動が、フツーでない人々の心を溶かしたのだと思います。メインとなった三カ国のメンバーだけではありません、最初からカヤの外に置かれて、それこそ疎外感でいっぱいで、損得以外には自分たちの行動指針など持たなかったはずのガヤ連合のメンバーまでをもです。
1人が19人を動かした。
これって、なかなか出来ることじゃありませんよね。
この映画の感動っていうのは、19人が動くに至るフツーの人としての篠宮ユウの心の変化、克服、再生にあるんだと思います。
そう、タイトルにある『再生』っていうのは、参加した20人のメンバーの人間としての再生っていう意味もあるんじゃないでしょうか?
私、この映画のBDが出たらたぶん買うと思います。
行くのを迷っておられる方、行って損はないと思いますよ。ぜひ劇場へお運びください。
====
ここからは個人的な趣味の話で恐縮ですが。。。
篠宮ユウのアップが結構多く、タベリストとしてはまことにありがたい映画でした。
で、今回改めておもったのは、多部未華子さんの首筋から鎖骨にかけてのラインの美しさです。
割と襟ぐりの深い服をお召しになってましたので、その部分の露出が大きいのですが、そこが実に美しいのですね。ほれぼれとしました。指を伸ばしてなぞりたいくらい・・いやマジで。
それとこれは教えていただきたいのですが。。
エンドロールの時、自宅に着いた篠宮ユウが秋山教授の著作を開いて“イスが三つ並んでいて、まん中のがピンク”っていうのを見つけ、その解説を読んで微笑むシーンがあります。秋山教授が、ユウにその質問をしたのは、
1.秋山に助けを求めにいったとき
2.秋山がゲームの会場に入ってきて、最初のイスをみんなが探しにいったとき
のどっちでしたでしょうか?
それ次第であの微笑むシーンの解釈が微妙に変わると思うのですが、今思い出せなくて。
最後に、ずっと引っかかっていたことが今わかりました。
前作の時も本作でも、映画全体がおもしろい(=ありえない)色使いだなあと感じていたのですが、これってあの『マスク』とか『ディックトレイシー』に通じるものがありますよね。
すっきりしました。>自分勝手解釈ではありますが。
gonbe5515
「秋山先生!私を助けてください!」とユウが教室に入ってくるシーン、
DeepPurplinさんのお姿を探そうと目を皿にしましたが、あまりにも流れが速くて見つけられませんでした。
購入してからのお楽しみですね。
ケータイ小説家の愛はどこに?
昨日はいろいろ書いてしまいました。
映画を観た後の感情をそのまま文章にしてしまったため、言葉を重ねてしまい、意図がわかりにくくなったような気がします。私自身、読み返してみて、
>役者はもちろんです。そんな役者の演技をヨシとしてしまった監督ももちろんです。
>ですが一番問題なのは、それらを統括したプロデューサーだと思います。
なんだ、この二行だけでよかったんじゃない。。。と思いました。
文中にも書いていますが、私は役者さんの演技のあまりのひどさに、途中何度もリモコンを手に取りました。
結局ボタンを押すのは踏みとどまりましたが、もし途中でやめていたら、かわたさんが意図したこと、観る者に伝えたかったことも、受けとることができなかったでしょうし、この作品に対する感想を述べることもできなかったでしょう。せめてもう少し、感情の表現方法の引き出しを二つか三つではなく、七つとか八つとか持っておられる役者さんたちが演じておられたら・・と思います。そしてご本人も書いていらっしゃいますが、かわたさんご自身が監督されていたとしたら、一層違うものになっていたに間違いありません。
当時はそれが出来ない状況だったとのことですので、言ってもせん無いことではありますが。
映画というのは企画があって(プロデュースする人がいて)、脚本があって、それから監督を選び、スタッフを選び・・っていう流れで進んでいくものと私は思っています。(かわたさんそれで合ってます?)
ですから役者が演技が下手なのは役者はもちろんだけどそれを選んだ(ヨシとした)プロデューサーの責任は当然問われてしかるべきだろう・・と。私はそこを言いたいわけです。
>ろくに宣伝もされずに公開されて、そりゃヒットするワケが無い。
それまでの慣習をぶちこわして、派手な広告戦略で観客動員を図ったのは、確か角川映画さんだったように記憶しています。大手の会社で制作された映画が、役者を番宣にかりだして動員を図る手法も今では定着したみたいですね。
ではそういう手段がとれない作品たちはどうやっているんだろうっていうのが私の疑問でした。広告も打たず、番宣もせずであるとすれば、チラシ配りとか電柱の貼り紙とか、映画館のポスターとか、映画雑誌の囲み広告とかですか?そういう広告の打ち方しか出来ない作品の中で、奇跡的に見いだされた作品だけが、著名な雑誌やテレビ番組とかで取り上げられるってことなんでしょうか。
>マイナーな創り手は永遠にマイナー世界から上がって行けない
その世界を歩いてこられたかわたさんの言葉に、私はなんて応えていいのかわかりません。
今もその世界で、映画という芸術に取り組んでおられる多くの人々がおられるんですよね。。
夢を追いかける方たちに、もっと光があたる機会ってないものなのでしょうか。
都道府県ごとのコンテストとか、配給会社による賞だとか、自主製作映画だけの映画祭とか。。。
ほんとに、もっと光を。
そしてトマトを。
それらを浴びて力をつけて、観客を狂喜させるような作品を携えて、光の源に昇ってきてほしい。
gonbe5515
映画業界のことについて、かわたさんが大変興味深い記事を書いておられます。
その業界に身を置いていた人にしか書けないものです。
興味のあるかたはご一読をお勧め致します。
『業界人のこと(前編)』
『業界人のこと(後編)』
『業界人のこと(追記)』
『日本映画の哀しい現実』
映画を観た後の感情をそのまま文章にしてしまったため、言葉を重ねてしまい、意図がわかりにくくなったような気がします。私自身、読み返してみて、
>役者はもちろんです。そんな役者の演技をヨシとしてしまった監督ももちろんです。
>ですが一番問題なのは、それらを統括したプロデューサーだと思います。
なんだ、この二行だけでよかったんじゃない。。。と思いました。
文中にも書いていますが、私は役者さんの演技のあまりのひどさに、途中何度もリモコンを手に取りました。
結局ボタンを押すのは踏みとどまりましたが、もし途中でやめていたら、かわたさんが意図したこと、観る者に伝えたかったことも、受けとることができなかったでしょうし、この作品に対する感想を述べることもできなかったでしょう。せめてもう少し、感情の表現方法の引き出しを二つか三つではなく、七つとか八つとか持っておられる役者さんたちが演じておられたら・・と思います。そしてご本人も書いていらっしゃいますが、かわたさんご自身が監督されていたとしたら、一層違うものになっていたに間違いありません。
当時はそれが出来ない状況だったとのことですので、言ってもせん無いことではありますが。
映画というのは企画があって(プロデュースする人がいて)、脚本があって、それから監督を選び、スタッフを選び・・っていう流れで進んでいくものと私は思っています。(かわたさんそれで合ってます?)
ですから役者が演技が下手なのは役者はもちろんだけどそれを選んだ(ヨシとした)プロデューサーの責任は当然問われてしかるべきだろう・・と。私はそこを言いたいわけです。
>ろくに宣伝もされずに公開されて、そりゃヒットするワケが無い。
それまでの慣習をぶちこわして、派手な広告戦略で観客動員を図ったのは、確か角川映画さんだったように記憶しています。大手の会社で制作された映画が、役者を番宣にかりだして動員を図る手法も今では定着したみたいですね。
ではそういう手段がとれない作品たちはどうやっているんだろうっていうのが私の疑問でした。広告も打たず、番宣もせずであるとすれば、チラシ配りとか電柱の貼り紙とか、映画館のポスターとか、映画雑誌の囲み広告とかですか?そういう広告の打ち方しか出来ない作品の中で、奇跡的に見いだされた作品だけが、著名な雑誌やテレビ番組とかで取り上げられるってことなんでしょうか。
>マイナーな創り手は永遠にマイナー世界から上がって行けない
その世界を歩いてこられたかわたさんの言葉に、私はなんて応えていいのかわかりません。
今もその世界で、映画という芸術に取り組んでおられる多くの人々がおられるんですよね。。
夢を追いかける方たちに、もっと光があたる機会ってないものなのでしょうか。
都道府県ごとのコンテストとか、配給会社による賞だとか、自主製作映画だけの映画祭とか。。。
ほんとに、もっと光を。
そしてトマトを。
それらを浴びて力をつけて、観客を狂喜させるような作品を携えて、光の源に昇ってきてほしい。
gonbe5515
映画業界のことについて、かわたさんが大変興味深い記事を書いておられます。
その業界に身を置いていた人にしか書けないものです。
興味のあるかたはご一読をお勧め致します。
『業界人のこと(前編)』
『業界人のこと(後編)』
『業界人のこと(追記)』
『日本映画の哀しい現実』
『ケータイ小説家の愛』
『脚本がしっかりしてれば映画もそれなりのものが出来る』
そんな意味のことをおっしゃっていた黒澤明監督の言葉を信じていた私。
が、
『雨上がる』『海は見ていた』の二作を見て、必ずしもそうとは言えないってことも知りました。
もちろんこれは「黒澤監督が書かれた脚本に、悪いものがあるはずがない!」っていう心酔者の思い込みによるものかもしれません。
この二作が“それなりのものになっていない”のは、小泉監督や熊井監督の責任ではなく、脚本そのものにあった・・・のかもしれません。
そのどちらであるのかは、観る人によって意見が分かれると思いますが、少なくとも私はこの二作が“それなりのものになっていない”のは、脚本ではなく監督の責任だと思っています。もっと言えば、この脚本を映画化しようとしたプロデューサーの責任だと思います。
映画は総合芸術。
脚本、監督、美術、衣裳、音響、編集、役者・・・それぞれに関わる人たちの力が相互に影響しあって一つの作品となる。それぞれのスタッフの力は、作品の中に、目に見えないような深いところに埋め込まれている。ある映画がもてはやされると、多くの場合、そして多くの人が監督・役者の功績を讃えるけれど、それだけじゃないんですよね。監督と役者だけで作品が出来るわけじゃない。作品に関わり、支えてくれる多くの表舞台に出てこない人がいる。
それを知っている監督や役者は、スタッフへの尊敬を忘れないし気配りを忘れない。自分の領分は自分が守り、最大限の力を注ぎ込む。だから相手の領分に対する敬意を忘れないけれど、同時に自分と同じように最大限の力を注いでくれることを相手に期待する。そうした責任感、信頼関係の強さ、つながりが作品に結実する。
なかよしこよしをヨシとする、まあまあって気持ちで妥協する、相手に強く言わないかわりに自分にも強くいってくれるな・・そんな現場ではいい作品って生まれない。
どんな現場になるのか。
それはプロデューサーが描く夢次第。プロデューサーの腕次第。
企画の実現の為にふさわしいと思えるスタッフを見つけてくる。集めてくる。
出来た現場が作る作品は、プロデューサーの作品。
作品の良し悪しは、プロデューサー次第。
映画制作のことはなにひとつ知らない私ですが、仕事の上でさまざまなプロジェクトに関わってきた経験から、きっとそうなんじゃないかなあって思います。
それともこれは“夢見るよい子ちゃん”の思い込みでしょうか?
前置きが長くなりましたが、『ケータイ小説家の愛』です。
>商品にするからには、数々の注文や制約をクリアしなくちゃいけない
かわたさんはご自身のブログの中で、こんなことを書いておられます。
ビジネスですからね。
霞を食って生きてはいけないのですからね。
投資した以上は、投資分の回収はもちろん、利益を出さなきゃいけない。
ではどうすれば利益が出るか。
簡単なことです。売れればいい。
じゃ、売るためにどうする?
・・・・ここから先なんじゃないでしょうか、問題は。
でっかい花火をうちあげるように、どどーんと売れて、あとにはなにも残らない売れ方。
小さい炎なんだけど消えない。どころかその炎を消すまいと、手をかざしてくれる人もいて、いつまでも燃え続ける。そんな売れ方。
商品が売れに売れてるところ、そこそこ売れてるところ、倒産しない程度に売れてるところ・・いろいろあると思うんです。ただ、売る側がどこを狙うのかによって、その商品の作り方、広告の仕方、販売の仕方って変わってくると思います。
ヒットを狙ったのか、利益が少なくても時代を先取りするような作品を作りたかったのか、前衛的な作品を目指したのか、少数でも熱心なファンに受け入れてもらえる作品を作ろうとしたのか、それとも・・・年度末の公共工事のように、予算を使い切るために「何でもいいからとにかくあと一本!」って作ったのか。。
この作品をプロデュースした方は、なにを目指していたのでしょう?
どのターゲットを狙い、どんな風に売ろうとしていたんでしょう?
それ以前に、どれくらい売るつもりだったのでしょう?
見終わったあと私は、この作品がどういう意図で作られたのかを知りたくなりました。
そのプロデューサーさんから予算がなくて・・って答えられちゃうと、ここから先の話は書く前から終わってしまうですが、一応書きます。
役者。
ひどい、ひどすぎる
出演している方々の演技がもう・・・目も当てられない。
かわたさんの脚本だから、そのあとの展開が気になって見続けましたけど、それがなければ、田村くんの登場の時点で私はスイッチを切ってたと思います。
>ケータイ小説を徹底的に茶化したパロディーから、毒を抜いたら一体どうなるか? それは、普通のありきたりなケータイ小説になっちゃう!
文章を読んだとき、その意味するところがよくわからなかったのですが、作品を見て納得できました。これはパロディになってない。ただの思い込みの強い女のコが一念発起したケータイ小説を書こう!という夢を実現するためにとった無謀な行動と、まわりの人々に与えた影響、そこからつながる事件、身に降りかかる不幸とそして・・・幸せ。
・・・・え?幸せ?
ラストシーン、フェラーリの助手席で、HIDEKIと愛ちゃんがにっこり見つめ合っている図を見たとき私は、田村くんがかわいそうでかわいそうで。。。
ハ、ハッピーエンドにしてしまうのか?って感じでした。
それじゃ、愛ちゃんのこやしになって散っていった田村くんや友樹くんはどうなる?
やっぱ愛ちゃんには、HIDEKIを劇的なシチュエーションで殺害してほしかったなあ。。
で、手錠を掛けられたところで夢から醒める・・・とか、血を見てにっこり笑ったあと、自分の体もナイフ(かなんか)で切りまくり、警察が来たあと泣き崩れて被害者のフリをして、見えないところでニタッって笑う悪女になってるとか、『あ、これもネタにつかえるかも・・』って嬉々としながらもケータイを打ち続けるとか。。
そんなラストのほうが、きっとおもしろいと思うのですが。
#シロートがほざいてるだけですので、無視して下さい。
とにかくこれは、料理の仕方に問題があると思います。
役者はもちろんです。そんな役者の演技をヨシとしてしまった監督ももちろんです。
ですが一番問題なのは、それらを統括したプロデューサーだと思います。
そう、プロデューサーの責任です。
『ケータイ小説家の愛 ~再生~』が企画されるのを期待しましょう。もっとしっかりした役者さんで、もっとしっかりした監督さんで、もっとしっかりしたプロデューサーさんで。そうなったら私、絶対もう一度観ます。
>完全に私自身の投影であり、私にとって理想のクリエイター像でもあるんです。
>何かメッセージを感じてもらえるのか、その解釈がこちらの意図とリンクしてるのか、
かわたさんごめんなさい、私は役者さんたちの演技に耐え続けることと、お粗末な編集に目をつぶることのほうに疲れてしまって、かわたさんのメッセージを受け止めることが出来なかったみたいです。ましてかわたさんに脚本のオファーを出したプロデューサーさんが悪いと、大きな声で叫んでしまいました。
gonbe5515
いろいろと、勝手なことを書き散らしました。
お気に障ったら申し訳ありません。
それはそれとして、
かわた脚本に興味が出てきたので、今度は『亜弥のDNA』を観てみます。
それにしても プ...
そんな意味のことをおっしゃっていた黒澤明監督の言葉を信じていた私。
が、
『雨上がる』『海は見ていた』の二作を見て、必ずしもそうとは言えないってことも知りました。
もちろんこれは「黒澤監督が書かれた脚本に、悪いものがあるはずがない!」っていう心酔者の思い込みによるものかもしれません。
この二作が“それなりのものになっていない”のは、小泉監督や熊井監督の責任ではなく、脚本そのものにあった・・・のかもしれません。
そのどちらであるのかは、観る人によって意見が分かれると思いますが、少なくとも私はこの二作が“それなりのものになっていない”のは、脚本ではなく監督の責任だと思っています。もっと言えば、この脚本を映画化しようとしたプロデューサーの責任だと思います。
映画は総合芸術。
脚本、監督、美術、衣裳、音響、編集、役者・・・それぞれに関わる人たちの力が相互に影響しあって一つの作品となる。それぞれのスタッフの力は、作品の中に、目に見えないような深いところに埋め込まれている。ある映画がもてはやされると、多くの場合、そして多くの人が監督・役者の功績を讃えるけれど、それだけじゃないんですよね。監督と役者だけで作品が出来るわけじゃない。作品に関わり、支えてくれる多くの表舞台に出てこない人がいる。
それを知っている監督や役者は、スタッフへの尊敬を忘れないし気配りを忘れない。自分の領分は自分が守り、最大限の力を注ぎ込む。だから相手の領分に対する敬意を忘れないけれど、同時に自分と同じように最大限の力を注いでくれることを相手に期待する。そうした責任感、信頼関係の強さ、つながりが作品に結実する。
なかよしこよしをヨシとする、まあまあって気持ちで妥協する、相手に強く言わないかわりに自分にも強くいってくれるな・・そんな現場ではいい作品って生まれない。
どんな現場になるのか。
それはプロデューサーが描く夢次第。プロデューサーの腕次第。
企画の実現の為にふさわしいと思えるスタッフを見つけてくる。集めてくる。
出来た現場が作る作品は、プロデューサーの作品。
作品の良し悪しは、プロデューサー次第。
映画制作のことはなにひとつ知らない私ですが、仕事の上でさまざまなプロジェクトに関わってきた経験から、きっとそうなんじゃないかなあって思います。
それともこれは“夢見るよい子ちゃん”の思い込みでしょうか?
前置きが長くなりましたが、『ケータイ小説家の愛』です。
>商品にするからには、数々の注文や制約をクリアしなくちゃいけない
かわたさんはご自身のブログの中で、こんなことを書いておられます。
ビジネスですからね。
霞を食って生きてはいけないのですからね。
投資した以上は、投資分の回収はもちろん、利益を出さなきゃいけない。
ではどうすれば利益が出るか。
簡単なことです。売れればいい。
じゃ、売るためにどうする?
・・・・ここから先なんじゃないでしょうか、問題は。
でっかい花火をうちあげるように、どどーんと売れて、あとにはなにも残らない売れ方。
小さい炎なんだけど消えない。どころかその炎を消すまいと、手をかざしてくれる人もいて、いつまでも燃え続ける。そんな売れ方。
商品が売れに売れてるところ、そこそこ売れてるところ、倒産しない程度に売れてるところ・・いろいろあると思うんです。ただ、売る側がどこを狙うのかによって、その商品の作り方、広告の仕方、販売の仕方って変わってくると思います。
ヒットを狙ったのか、利益が少なくても時代を先取りするような作品を作りたかったのか、前衛的な作品を目指したのか、少数でも熱心なファンに受け入れてもらえる作品を作ろうとしたのか、それとも・・・年度末の公共工事のように、予算を使い切るために「何でもいいからとにかくあと一本!」って作ったのか。。
この作品をプロデュースした方は、なにを目指していたのでしょう?
どのターゲットを狙い、どんな風に売ろうとしていたんでしょう?
それ以前に、どれくらい売るつもりだったのでしょう?
見終わったあと私は、この作品がどういう意図で作られたのかを知りたくなりました。
そのプロデューサーさんから予算がなくて・・って答えられちゃうと、ここから先の話は書く前から終わってしまうですが、一応書きます。
役者。
ひどい、ひどすぎる
出演している方々の演技がもう・・・目も当てられない。
かわたさんの脚本だから、そのあとの展開が気になって見続けましたけど、それがなければ、田村くんの登場の時点で私はスイッチを切ってたと思います。
>ケータイ小説を徹底的に茶化したパロディーから、毒を抜いたら一体どうなるか? それは、普通のありきたりなケータイ小説になっちゃう!
文章を読んだとき、その意味するところがよくわからなかったのですが、作品を見て納得できました。これはパロディになってない。ただの思い込みの強い女のコが一念発起したケータイ小説を書こう!という夢を実現するためにとった無謀な行動と、まわりの人々に与えた影響、そこからつながる事件、身に降りかかる不幸とそして・・・幸せ。
・・・・え?幸せ?
ラストシーン、フェラーリの助手席で、HIDEKIと愛ちゃんがにっこり見つめ合っている図を見たとき私は、田村くんがかわいそうでかわいそうで。。。
ハ、ハッピーエンドにしてしまうのか?って感じでした。
それじゃ、愛ちゃんのこやしになって散っていった田村くんや友樹くんはどうなる?
やっぱ愛ちゃんには、HIDEKIを劇的なシチュエーションで殺害してほしかったなあ。。
で、手錠を掛けられたところで夢から醒める・・・とか、血を見てにっこり笑ったあと、自分の体もナイフ(かなんか)で切りまくり、警察が来たあと泣き崩れて被害者のフリをして、見えないところでニタッって笑う悪女になってるとか、『あ、これもネタにつかえるかも・・』って嬉々としながらもケータイを打ち続けるとか。。
そんなラストのほうが、きっとおもしろいと思うのですが。
#シロートがほざいてるだけですので、無視して下さい。
とにかくこれは、料理の仕方に問題があると思います。
役者はもちろんです。そんな役者の演技をヨシとしてしまった監督ももちろんです。
ですが一番問題なのは、それらを統括したプロデューサーだと思います。
そう、プロデューサーの責任です。
『ケータイ小説家の愛 ~再生~』が企画されるのを期待しましょう。もっとしっかりした役者さんで、もっとしっかりした監督さんで、もっとしっかりしたプロデューサーさんで。そうなったら私、絶対もう一度観ます。
>完全に私自身の投影であり、私にとって理想のクリエイター像でもあるんです。
>何かメッセージを感じてもらえるのか、その解釈がこちらの意図とリンクしてるのか、
かわたさんごめんなさい、私は役者さんたちの演技に耐え続けることと、お粗末な編集に目をつぶることのほうに疲れてしまって、かわたさんのメッセージを受け止めることが出来なかったみたいです。ましてかわたさんに脚本のオファーを出したプロデューサーさんが悪いと、大きな声で叫んでしまいました。
gonbe5515
いろいろと、勝手なことを書き散らしました。
お気に障ったら申し訳ありません。
それはそれとして、
かわた脚本に興味が出てきたので、今度は『亜弥のDNA』を観てみます。
それにしても プ...
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